五輪表彰台の「ブラックパワー」から50年、J・カーロス氏インタビュー
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■FBIとの「コーヒータイム」
結婚生活の破たんをはじめ、両氏ともにその後は苦労の連続だった。カーロス氏の元妻は1977年に自ら命を絶った。「私の人生で最大の悲しみだった──荒れ果てた、みじめな時期だった」と、その時の心境にも触れた。
しかし、講演では常にユーモアを交えた話が展開し、集まった人々を飽きさせることはなかった。自らを監視していたFBIの職員と一緒にコーヒーを飲んだ時のエピソードはそうした話の一つだ。
ある時、自宅前に車を止めて自身を監視するFBI職員を見つけたカーロス氏は、コーヒーを一緒に飲まないかと、この職員を家に招き入れようとしたことがあるという。
この誘いにFBIの職員は、定年間近なので規則違反のリスクは負えないと答えたとされるが、「なら、こちらからコーヒーを持っていって一緒に飲むことは禁じられてはいないだろう?」と再度提案し、最終的に警察車両の中でコーヒーを飲みながらおしゃべりをしたことを明らかにした。
さらに、五輪で突き上げた拳が「ブラックパワー」を示したものだとされていることの「真相」を語り、あれは「いわゆる、人権を求める五輪プロジェクト(Olympic Project for Human Rights)」の一環だったと述べ、集まった人々の笑いを誘った。
「あれはブラックパワーのデモなんかじゃない。ブラックパワーならば、コースを走る私たちの黒いお尻をみんな見たはずだ」と冗談を交えながら、「私たちが気にかけていたのは、人権、人間らしさだ。それは社会のどの領域にもまたがるものだ」と続けた。
後年、カーロス氏は、アメリカンフットボールに転向した。ただ、そのキャリアは負傷で短命に終わっている。その後は、カリフォルニア州でガーデナーの仕事に就き、ようやく平穏な生活を取り戻し始めた。
同じ時期、米国も変わりつつあった。彼とスミス氏に対する社会の態度も徐々にではあるが軟化していった。カーロス氏は、1980年代に入る頃には高校で陸上競技のコーチをするようになっていた。また世紀が変わる頃には、2人をたたえる像が建てられるようにもなった。
しかし、現代の米国社会の人種闘争について語るとき、内に秘めた怒りは再び燃え上がるようだ。