【10月16日 AFP】50年前の今日、1968年10月16日にメキシコ五輪の表彰台で黒人の公民権運動を支持する行為「ブラックパワー・サリュート(Black Power Salute)」の拳を突き上げたとき、トミー・スミス(Tommie Smith)選手は24歳になったばかりで、ジョン・カーロス(John Carlos)選手もまだ23歳だった。

 半世紀たった今も、カーロス氏の大胆さは健在だ。あの日、彼が立ち向かったのは、全米を覆っていた人種差別(レイシズム)と世界中で行われていた人権侵害だ。

 カーロス氏はこのほど、メキシコの首都メキシコ市にある「メキシコ国立自治大学(UNAM)」の五輪スタジアムを再訪して講演を行い、男子200メートル走で優勝したスミス氏と共に、表彰台から抑圧に抗議した時のことを振り返った。同レースで3位だったカーロス氏は、「スタジアムに入っていくと、50年前のメキシコで感じたのと同じ気分になった。故郷に帰ってきたような気分だった」と述べ、そしてあの抗議によってその後の人生が一変したことにも触れた。

■銅メダル、そして社会ののけ者に

 会場に米国歌が流れるなか、表彰台の上で拳を突き上げた2人は、世界の前で国家に恥をかかせたとして高い代償を払うこととなった。

 メキシコ五輪からも米国代表チームからも追放され、帰国した後も、社会からのけ者扱いされた。その年の春に起きたマーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King Jr.)牧師の暗殺と、それを受けて多発した暴動の傷が、米国社会にはまだ生々しく残っていたのだ。

「メキシコ市に行ったときは、世界を明るい太陽が照らしたかのようだったのに、私たちが帰国すると、そこはまるで大嵐が来たようになっていた」とカーロス氏は言う。

 帰国後、カーロス氏とスミス氏は、殺害の脅迫を受け、仕事を失い、米連邦捜査局(FBI)の監視対象となった。かつての友人やチームメートからも距離を置かれた。その理由を理解するのに何年もかかったと、カーロス氏は言う。「彼らは『恐怖』を理由に離れたんだ。仕返しへの恐怖。彼らが私にしたこと、私やトミー・スミスを村八分にしたことへの恐怖だ」