【マニラ/フィリピン 22日 AFP】首都マニラでは22日、100万人以上のフィリピン国民行進し、当時のフェルディナンド・マルコス(Ferdinand Marcos)大統領を失脚に追い込んだ革命、「ピープル・パワー(People Power)」の記念日を迎えた。しかし、革命21周年は国民の関心も薄く、過ぎていった。

 この日、無名戦士の墓地で献花をしたグロリア・アロヨ(Gloria Arroyo)大統領にとって、この日は現政府に対するクーデター未遂から1年が経過したことも意味していた。

 1年前のこの一件で、軍に貸しを作ったかたちとなったアロヨ政権の権限は強まっていると、政治評論家は言う。28人の軍関係者がクーデター計画の責任を問われ、2月末にも軍法会議かけられる予定だ。

 「現代の若者だけでなく政治家でさえ、民衆革命の精神に無関心なようだ」。革命の当事者だったフィデル・ラモス(Fidel Ramos)元大統領は22日、民衆革命は国民の大半にとってもはや大きな意味を持たないと述べた。

 「ピープル・パワー」や「EDSA革命」として知られる1986年2月22日の革命で、国家警察軍司令官だったラモス元大統領は、国防相だったJuan Ponce Enrile氏や将校、兵士らと、マルコス政権に反旗を翻した。

 フィリピン軍本部からESDA通りを挟んだ警察本部に追い詰められたラモス元大統領とEnrile元国防相は、ラジオを使って革命への支持を求め、数十万人の国民がこれに応えた。数日間にわたり、牧師や尼僧、一般市民や子どもたちが革命を支持し、武器を持たずに政府軍の戦車や機関銃と対峙した。25日、マルコス元大統領は家族と共に国外に脱出、コラソン・アキノ(Corazon Aquino)氏が大統領に就任した。

 フィリピンは21年前と変わっていないと、フィリピン大学(University of the Philippines)の政治学者Clarita Carlos氏は言う。
「変わったのは、主要な役割を担う人たちが年を取ったということだけだ」

 写真は25日、4日間の革命記念日の初日に行われた式典で、勝利のジャンプを再現するラモス元大統領(中央)。(c)AFP/JOEL NITO