【5月9日 CNS】香港出身の武術家ブルース・リー(Bruce Lee)によって中国のカンフーが広く世界に知られるようになって半世紀になる。中国武術を海外に普及させる上で、華僑たちの果たしてきた役割が改めて注目されている。

 中国武術が海外に広がった歴史について、首都体育大学院(Capital University of Physical Education and Sports)の孟濤(Meng Tao)教授は「古代のシルクロードでは、中国武術はさまざまな形で外国文化に遭遇したと考えられている」と指摘する。

 現代では、1929年に華僑の指導者であるタン・カー・キー(Tan Kah Kee)氏が、福建七大拳種に数えられる「永春白鶴拳」の師範たちによる東南アジア遠征を果たし、1936年には中国武術代表団がオリンピックに参加するためにベルリンを訪れている。

 また、1974年には、中国武術代表団による米国訪問が実現し、1982年以降になると、中国全土で武術団体の国際化が加速していった。

 現在、国際武術連盟には 158 の国と地域が加盟している。武術は2026年のダカール・ユース・オリンピックの公式競技種目となり、ユネスコの海外無形文化遺産にも登録されている。

 中国武術の海外普及の歴史の中で、19世紀半ばのゴールドラッシュは特筆すべきだろう。米カリフォルニア州に押し寄せた中国系移民たちが武術を護身術として米国に持ち込んだのだ。当時、中国武術が他民族に教えられることはほとんどなく、その技は主にチャイナタウンで受け継がれていったという。

 中国武術の知名度を上げたのはブルース・リーだった。中国武術の詠春拳の達人「草問(イップ・マン、Ip Man)」の弟子を自認する彼は、多くの生き生きとした勇敢なキャラクターを演じ、西洋社会にインパクトを与えた。

 近年では、中国武術は単なる護身術としてではなく、フィットネスのツールや中国文化を学ぶ題材して海外でも広く親しまれるようになっている。そこには海外の地で普及に努めてきた華僑たちの努力があることは知られてもいい。(c)CNS/JCM/AFPBB News