■扱いに慎重を要する声明

 バガ襲撃の第一報は、文字だった。AFPが情報を入手して、1月4日に一行だけの速報を流した。襲撃があったという以外にその時点でわれわれが把握していたのは、何百人もの人々が逃げ出したこと、そしてナイジェリア軍とチャド軍が過激派対策のため駐留していた基地がボコ・ハラムに制圧されたということだけだった。

 4日後、グッドラック・ジョナサン(Goodluck Jonathan)大統領がラゴスで選挙運動を開始したその日に、バガ近郊の町の当局者ムサ・ブカル(Musa Bukar)氏が英BBCラジオのハウサ語放送で、ボコ・ハラムが少なくともバガと周辺の16町村を襲撃・破壊し最大2000人が犠牲になった恐れがあると主張した。

 ブカル氏はその後、AFPの取材にも同じ主張を繰りかえしたが、示した数字の根拠や、いつどこで犠牲が発生したのかの内訳については、明言できなかった。

 にもかかわらず、ブカル氏の主張する「2000人」はあっという間に広まった。英語に翻訳され、BBCのウェブサイトにも掲載された。翌日には国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)が「2000人」という数字が正しければと慎重に前置きした上で、バガ襲撃はボコ・ハラムによる最悪の虐殺の可能性があると示唆する声明を発表した。

 それからの数日間で、BBCの慎重な報道とアムネスティの警告は、ソーシャルメディアを中心に事件への関心が高まる中、すっかりかき消されてしまった。「2000人」という数字は拡散され、犠牲者数として定着し、世界は震撼した。

■「誰も遺体を数えない」

 バガで何が起きたのか。世間の注目が集まり、アムネスティと国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(Human Rights Watch、HRW)は破壊の大きさを示す衛星写真を公開した。それでも、正確な死者数は分かっていない。

「誰一人、現場に戻って遺体を数えようとはしない」と、バガの住民はHRWに証言した。「とにかく町を脱出しようとしている」

 欧米では、当局がほぼリアルタイムで声明を出し、確認が取れた死者数や負傷者数を公表し、事件に対する当局としての見解を発表する。例えば、フランス・パリ(Paris)で風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)の編集部が襲撃された事件では、数時間のうちに死傷者数が明らかになり、テレビカメラが容疑者の捜索を追い、携帯電話で撮影した動画や目撃者証言がインターネット上に公開されニュースでも放送された。世界中のメディアがパリに押し寄せ、抗議デモを取材し、事件を分析した。

 しかし、ナイジェリアではこれら一切が期待できない。地元メディアにとっても、AFPをはじめ駐在する一握りの外国メディアにとっても、状況は比較のしようがないものだ。