「フジヤマのトビウオ」古橋さん死去に悲しみの声
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【8月4日 AFP】(一部更新)国際水泳連盟(FINA)の古橋広之進(Hironoshin Furuhashi)副会長が2日、第13回世界水泳選手権(13th World Swimming Championships)が開催されていたローマ(Rome)市内のホテルで心不全のため死去した。80歳だった。
古橋さんは、第2次世界大戦(World War II)直後に世界新記録を立て続けに樹立し、国民に多くの感銘を与えた。日本水泳界の象徴的存在だった古橋さん死去の一報には、悲しみの声が寄せられている。
時事通信(Jiji Press)は3日、「400メートル自由形で記録した世界新記録は、終戦で沈んでいた日本人の心に差した一筋の光だった」と、麻生太郎(Taro Aso)首相のコメントを報じた。
1949年の全米選手権で古橋さんは、400メートル、800メートル、1500メートルの自由形3種目で世界新記録を樹立し、驚愕した米国メディアから「フジヤマのトビウオ(Flying Fish of Fujiyama)」と称された。
88年のソウル五輪・競泳男子100メートル背泳ぎの金メダリスト鈴木大地(Daichi Suzuki)氏は、「現役時代、『魚になるまで泳げ』と激励された。一生忘れません」とコメントしている。
1952年に引退した古橋さんはその後、日本水泳連盟(Japan Swimming Federation)会長を務めると、90年から99年までは日本オリンピック委員会(Japanese Olympic Committee、JOC)の会長を務めるなど、水泳界の発展に尽力した。(c)AFP/Shigemi Sato
古橋さんは、第2次世界大戦(World War II)直後に世界新記録を立て続けに樹立し、国民に多くの感銘を与えた。日本水泳界の象徴的存在だった古橋さん死去の一報には、悲しみの声が寄せられている。
時事通信(Jiji Press)は3日、「400メートル自由形で記録した世界新記録は、終戦で沈んでいた日本人の心に差した一筋の光だった」と、麻生太郎(Taro Aso)首相のコメントを報じた。
1949年の全米選手権で古橋さんは、400メートル、800メートル、1500メートルの自由形3種目で世界新記録を樹立し、驚愕した米国メディアから「フジヤマのトビウオ(Flying Fish of Fujiyama)」と称された。
88年のソウル五輪・競泳男子100メートル背泳ぎの金メダリスト鈴木大地(Daichi Suzuki)氏は、「現役時代、『魚になるまで泳げ』と激励された。一生忘れません」とコメントしている。
1952年に引退した古橋さんはその後、日本水泳連盟(Japan Swimming Federation)会長を務めると、90年から99年までは日本オリンピック委員会(Japanese Olympic Committee、JOC)の会長を務めるなど、水泳界の発展に尽力した。(c)AFP/Shigemi Sato