<07仏大統領選挙>サルコジ次期大統領の「横顔」 - フランス
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【パリ 7日 AFP】仏新大統領に当選した与党国民運動連合(UMP)のニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)党首(52)は、意志の力と野心、そして自身の右派改革路線だけが低迷する祖国を救えるとの揺るぎない信念によって、大統領の座を勝ち取った。
サルコジ氏は膨大な精力を投じ、大統領職を目指す決意を貫いて、権力の頂点へと至る道に横たわる数々の障害を乗り越えてきた。同氏は6日の決選投票における勝利により、「フランスは改革を断行する準備ができている」との自身の信念が立証されたとしている。
■ハンガリー系フランス人、弁護士から政治家へ
その粘り強い政治的意欲のルーツは、パリ郊外ヌイイー(Neuilly)で、父がハンガリー系移民で母方の祖母がギリシャ系ユダヤ人という家庭に生まれ育った子ども時代にさかのぼる。サルコジ氏はたびたび、4歳の時に父親が家族を捨てたことから自身の力不足を痛感し、その結果、世間に実力を示し続けることが必要になったと語っている。
1968年の「5月革命」では、当時流行した左翼的な主張に反対し、保守派ドゴール主義の新星だったジャック・シラク(Jacques Chirac)大統領を支持した。サルコジ氏は今回の選挙戦でも、5月革命を批判している。
仏政界の伝統とは一線を画し、高級官僚養成校である国立行政学院(ENA)に進学せず、弁護士の道を選んだ。努力によって自力で頂点までのし上がったという主張は、サルコジ氏の最大の魅力となっている。
■大臣経験を生かし、シラク大統領の後継者を目指す
28歳でヌイイー市長に当選。1993年に同市の幼稚園で起きた立てこもり事件では、勇敢な対応が国民の注目を浴びた。
閣外相時代の1995年、大統領選挙で当選したシラク氏の対立候補を支持するという「戦術ミス」により、その後数年間冷遇された。だが、大統領が再選を決めた2002年の選挙に際して内閣に復帰。その後は一心に、シラク大統領の後継者を目指してきた。
内相として4年、財務相として1年の経験を持つ。与党国民運動連合を「集票マシン」に仕立て上げるなど、過去5年間の仏政治はサルコジ氏の独壇場だった。
■改革派のイメージを定着させ、当選
旺盛な精力と、フランスの社会的、経済的問題を率直な言葉で分析することで知られるサルコジ氏は多くの支持者を集めた。一方で、同氏を危険な権威主義者とみなし、大統領に就任すれば国を団結させるどころか、分裂に追い込むと指摘する声もあった。
こうした左派対立陣営の不安は、2005年、サルコジ氏の発言が引き金となって移民の若者らによる大規模な暴動が発生したことに起因している。今回の選挙戦では、国民戦線(FN)のジャンマリ・ルペン(Jean-Marie Le Pen)党首が主張してきた極右思想をもてあそぶ「残酷で」「危険な」指導者だとの批判を浴びた。
サルコジ氏自身は、人種差別疑惑を明確に否定。自身が政策として掲げる米国式のアファーマティブ・アクション(差別是正措置)と労働市場改革は、最貧困層の救済が最大の目的だと主張している。
サルコジ氏の政治的才覚は、シラク政権に在籍しながら過去の政策からの決別をうたい、「改革の旗手」としてのイメージ定着に成功したことからも明らかだ。
極右支持者らからも票を集めることでルペン氏の脅威を骨抜きにし、自己の主張の矛盾を突く批判に対しては、シラク大統領の支持者、市場開放を唱える急進派、社会保障を求める中道派などを取り込んだ広範な支持層を形成して対抗した。
そうした支持層が6日、サルコジ氏を悲願の大統領職に当選させた原動力となった。
写真は、第2共和制で初代大統領となったルイ・ナポレオン・ボナパルト(Louis Napoleon Bonaparte)以来、歴代22人の仏大統領と、次期大統領に当選したサルコジ氏(右下)の写真。(c)AFP
サルコジ氏は膨大な精力を投じ、大統領職を目指す決意を貫いて、権力の頂点へと至る道に横たわる数々の障害を乗り越えてきた。同氏は6日の決選投票における勝利により、「フランスは改革を断行する準備ができている」との自身の信念が立証されたとしている。
■ハンガリー系フランス人、弁護士から政治家へ
その粘り強い政治的意欲のルーツは、パリ郊外ヌイイー(Neuilly)で、父がハンガリー系移民で母方の祖母がギリシャ系ユダヤ人という家庭に生まれ育った子ども時代にさかのぼる。サルコジ氏はたびたび、4歳の時に父親が家族を捨てたことから自身の力不足を痛感し、その結果、世間に実力を示し続けることが必要になったと語っている。
1968年の「5月革命」では、当時流行した左翼的な主張に反対し、保守派ドゴール主義の新星だったジャック・シラク(Jacques Chirac)大統領を支持した。サルコジ氏は今回の選挙戦でも、5月革命を批判している。
仏政界の伝統とは一線を画し、高級官僚養成校である国立行政学院(ENA)に進学せず、弁護士の道を選んだ。努力によって自力で頂点までのし上がったという主張は、サルコジ氏の最大の魅力となっている。
■大臣経験を生かし、シラク大統領の後継者を目指す
28歳でヌイイー市長に当選。1993年に同市の幼稚園で起きた立てこもり事件では、勇敢な対応が国民の注目を浴びた。
閣外相時代の1995年、大統領選挙で当選したシラク氏の対立候補を支持するという「戦術ミス」により、その後数年間冷遇された。だが、大統領が再選を決めた2002年の選挙に際して内閣に復帰。その後は一心に、シラク大統領の後継者を目指してきた。
内相として4年、財務相として1年の経験を持つ。与党国民運動連合を「集票マシン」に仕立て上げるなど、過去5年間の仏政治はサルコジ氏の独壇場だった。
■改革派のイメージを定着させ、当選
旺盛な精力と、フランスの社会的、経済的問題を率直な言葉で分析することで知られるサルコジ氏は多くの支持者を集めた。一方で、同氏を危険な権威主義者とみなし、大統領に就任すれば国を団結させるどころか、分裂に追い込むと指摘する声もあった。
こうした左派対立陣営の不安は、2005年、サルコジ氏の発言が引き金となって移民の若者らによる大規模な暴動が発生したことに起因している。今回の選挙戦では、国民戦線(FN)のジャンマリ・ルペン(Jean-Marie Le Pen)党首が主張してきた極右思想をもてあそぶ「残酷で」「危険な」指導者だとの批判を浴びた。
サルコジ氏自身は、人種差別疑惑を明確に否定。自身が政策として掲げる米国式のアファーマティブ・アクション(差別是正措置)と労働市場改革は、最貧困層の救済が最大の目的だと主張している。
サルコジ氏の政治的才覚は、シラク政権に在籍しながら過去の政策からの決別をうたい、「改革の旗手」としてのイメージ定着に成功したことからも明らかだ。
極右支持者らからも票を集めることでルペン氏の脅威を骨抜きにし、自己の主張の矛盾を突く批判に対しては、シラク大統領の支持者、市場開放を唱える急進派、社会保障を求める中道派などを取り込んだ広範な支持層を形成して対抗した。
そうした支持層が6日、サルコジ氏を悲願の大統領職に当選させた原動力となった。
写真は、第2共和制で初代大統領となったルイ・ナポレオン・ボナパルト(Louis Napoleon Bonaparte)以来、歴代22人の仏大統領と、次期大統領に当選したサルコジ氏(右下)の写真。(c)AFP