【ジャカルタ/インドネシア 7日 AFP】ジャワ(Java)島中部ジョクジャカルタ(Yogyakarta)の空港で7日、着陸に失敗し炎上したガルーダ・インドネシア(Garuda Indonesia)航空事故の生存者が、「猛火の中に多くの人たちが閉じこめらていた」と証言した。

 搭乗していた公共事業省職員、Nunik SufithriさんはニュースサイトDetikcomの取材に対し、「ドスンと衝撃があり、次に機体が大きく揺れた。後部ではみんなが"火事だ”と叫んでいた」と証言した。「友人と私は非常口から飛び降りた。最初は翼へ飛び降り、そこから下の水田へ逃れました。だいぶ離れた場所まで走った時に爆発が起こりました」。

 当局の発表によると、事故機はジャカルタ(Jakarta)発ジョクジャカルタ行きのボーイング737-400型機で、乗客133人、乗員7人の計140人が搭乗していた。同事故で、少なくとも49人が死亡したとみられる。

 空港にいた別機のパイロット、Yos Bintoro氏は「たくさんの遺体を見た。出口近くでは数十体が焼けこげていた。コックピットの中にも死んでいる人がいた」とEl Shintaラジオに語った。

 インドネシアのイスラム団体指導者Din Syamsuddin師も搭乗していた。眠っていた時に機体が地面に「2回衝突」したと言う。「真っ暗になり、至る所が煙で満たされた。たくさんの人がけがをしていた。自分が脱出したときも、まだ多くの人が機内に残っていた」。

 テレビでは、滑走路端までオーバーランし、折れた胴体部分が炎上し黒煙に包まれる生々しい映像が流れた。

 負傷した病院で治療中のYunadi Srimulyoさん(33)は、非常口から燃える破片の上へ飛び降りたが、かろうじて軽度の打撲傷とやけどで済んだ。機体が停止したのが水田の上だったため、衣服に燃え移った炎が消えるまで、田にはられた水の中を転がりまくったと言う。
「指と手のひらに軽いやけどをしただけで済んだ。ひざまで長さのあるコートを着ていたので、それも防護の役を果たしてくれました」

 無事だった2人の日本人搭乗者のひとり、山田憲司さん(31)はフジテレビの電話取材に答え、「ドアが開いているのが見えたので、生きるために夢中で走った。振り返る暇はなかった。搭乗員たちは違う言葉で叫んでいたから何を言っているのか分からなかったので、避難誘導があったかどうかも分からない」と語った。

 写真は、同日、事故機の残骸に放水する救助隊。(c)AFP/Tarko SUDIARNO