メリル・ストリープ、3度目のオスカー獲得
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【2月27日 AFP】(一部更新)第84回アカデミー賞(Academy Awards)授賞式が26日、米ハリウッド(Hollywood)で開催され、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(The Iron Lady)』で、サッチャー(Margaret Thatcher)元英首相を演じたメリル・ストリープ(Meryl Streep、62)が主演女優賞を受賞した。ストリープはノミネート17回目にして、3つ目のオスカー獲得となった。
同部門にはその他、『アルバート・ノッブス(Albert Nobbs)』のグレン・クローズ(Glenn Close)、『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~(The Help)』のヴィオラ・デイヴィス(Viola Davis)、『ドラゴン・タトゥーの女(The Girl With the Dragon Tattoo)』のルーニー・マーラ(Rooney Mara)、『マリリン 7日間の恋(My Week with Marilyn%)』のミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams)がノミネートされていた。
「生きる伝説」「米国の至宝」「アメリカの象徴」─アカデミー賞史上最多の17回のノミネートを誇り、3つ目のオスカーを手にしたストリープはこれまで様々に称賛されてきたが、彼女自身が人からこう見られたいと思うのは唯一「女優」だけだろう。
最初のオスカーは1979年の『クレイマー、クレイマー(Kramer vs Kramer)』で、父子を残して家を出る妻役で獲得した助演女優賞。2度目はナチスの強制収容所から生還した女性を演じた1982年の『ソフィーの選択(Sophie's Choice)』での主演女優賞。およそ30 年で3回目のオスカーだ。
しかしストリープは名声に流されることなく、プライベートではできるだけ目立たないように暮らし、4人の子どもを育てあげた。「有名であることは色々なことに足かせになる。わたしにとって一番は家族。今までもそうだったし、これからもそう」。けれどもセレブとしての生活を嫌うことが、女優としてのキャリアと熱意を阻むことは決してなかった。
■「完ぺきな自信なければ演じようと思わない」
『ソフィーの選択』では、撮影の舞台となったポーランドの地元の人びとが、同じポーランド人だと思うまでにポーランド語を習得、『ミュージック・オブ・ハート(Music of the Heart)』では毎日6時間、8週間の練習でバイオリンをマスター、『A Cry in the Dark』では、オーストラリア英語を完ぺきに身に付けた。
「その役柄をスクリーン上に完ぺきに描ける自信がなければ、その役は試そうとも思わない」と言うのがストリープ流だ。この徹底したプロ意識は時に彼女に対するハリウッドの見方を二分してきた。大女優ベティ・デイヴィス(Bette Davis)は死の間際に称賛の手紙をストリープの元へ送り、しかしキャサリン・ヘップバーン(Katharine Hepburn)は最も好みでない女優にストリープの名を挙げた。
ストリープは1949年6月、米ニュージャージー(New Jersey)州生まれ。父は製薬会社役員、母は商業芸術家だった。ヴァッサー大学(Vassar College)で英語と演劇を専攻後、エール大学(Yale University)の演劇奨学生となる。同大を卒業した1975年、ブロードウェー(Broadway)デビューし高い評価を受け、 1977年に『ジュリア(Julia)』で映画デビューを飾った。
すぐに『ディア・ハンター(The Deer Hunter)』(1978)で初めてアカデミー賞にノミネートされると、ウディ・アレン(Woody Allen)監督の『マンハッタン(Manhattan)』(1979)、『クレイマー、クレイマー』、『フランス軍中尉の女(The French Lieutenant's Woman)』(1981)、『ソフィーの選択』(1982)と次々に成功を収めた。
90年代も『ハリウッドにくちづけ(Postcards from the Edge)』(1990)、『マディソン郡の橋(The Bridges of Madison County)』(1995)、『ミュージック・オブ・ハート』(1999)と出演作が軒並みヒット。2000年代に入ってからだけでも、『アダプテーション(Adaptation)』(2003)、『プラダを着た悪魔(The Devil Wears Prada)』(2006)、『ダウト~あるカトリック学校で~(Doubt)』(2008)、『ジュリー&ジュリア(Julie & Julia)』(2009)でアカデミー賞にノミネートされている。
今回の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』では、スウェーデンのポップグループABBA(アバ)のヒット曲で綴られた2008年のミュージカル映画『マンマ・ミーア!(Mamma Mia!)』のフィリダ・ロイド(Phyllida Lloyd)監督と再び組んだ。(c)AFP/Michael Thurston
同部門にはその他、『アルバート・ノッブス(Albert Nobbs)』のグレン・クローズ(Glenn Close)、『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~(The Help)』のヴィオラ・デイヴィス(Viola Davis)、『ドラゴン・タトゥーの女(The Girl With the Dragon Tattoo)』のルーニー・マーラ(Rooney Mara)、『マリリン 7日間の恋(My Week with Marilyn%)』のミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams)がノミネートされていた。
「生きる伝説」「米国の至宝」「アメリカの象徴」─アカデミー賞史上最多の17回のノミネートを誇り、3つ目のオスカーを手にしたストリープはこれまで様々に称賛されてきたが、彼女自身が人からこう見られたいと思うのは唯一「女優」だけだろう。
最初のオスカーは1979年の『クレイマー、クレイマー(Kramer vs Kramer)』で、父子を残して家を出る妻役で獲得した助演女優賞。2度目はナチスの強制収容所から生還した女性を演じた1982年の『ソフィーの選択(Sophie's Choice)』での主演女優賞。およそ30 年で3回目のオスカーだ。
しかしストリープは名声に流されることなく、プライベートではできるだけ目立たないように暮らし、4人の子どもを育てあげた。「有名であることは色々なことに足かせになる。わたしにとって一番は家族。今までもそうだったし、これからもそう」。けれどもセレブとしての生活を嫌うことが、女優としてのキャリアと熱意を阻むことは決してなかった。
■「完ぺきな自信なければ演じようと思わない」
『ソフィーの選択』では、撮影の舞台となったポーランドの地元の人びとが、同じポーランド人だと思うまでにポーランド語を習得、『ミュージック・オブ・ハート(Music of the Heart)』では毎日6時間、8週間の練習でバイオリンをマスター、『A Cry in the Dark』では、オーストラリア英語を完ぺきに身に付けた。
「その役柄をスクリーン上に完ぺきに描ける自信がなければ、その役は試そうとも思わない」と言うのがストリープ流だ。この徹底したプロ意識は時に彼女に対するハリウッドの見方を二分してきた。大女優ベティ・デイヴィス(Bette Davis)は死の間際に称賛の手紙をストリープの元へ送り、しかしキャサリン・ヘップバーン(Katharine Hepburn)は最も好みでない女優にストリープの名を挙げた。
ストリープは1949年6月、米ニュージャージー(New Jersey)州生まれ。父は製薬会社役員、母は商業芸術家だった。ヴァッサー大学(Vassar College)で英語と演劇を専攻後、エール大学(Yale University)の演劇奨学生となる。同大を卒業した1975年、ブロードウェー(Broadway)デビューし高い評価を受け、 1977年に『ジュリア(Julia)』で映画デビューを飾った。
すぐに『ディア・ハンター(The Deer Hunter)』(1978)で初めてアカデミー賞にノミネートされると、ウディ・アレン(Woody Allen)監督の『マンハッタン(Manhattan)』(1979)、『クレイマー、クレイマー』、『フランス軍中尉の女(The French Lieutenant's Woman)』(1981)、『ソフィーの選択』(1982)と次々に成功を収めた。
90年代も『ハリウッドにくちづけ(Postcards from the Edge)』(1990)、『マディソン郡の橋(The Bridges of Madison County)』(1995)、『ミュージック・オブ・ハート』(1999)と出演作が軒並みヒット。2000年代に入ってからだけでも、『アダプテーション(Adaptation)』(2003)、『プラダを着た悪魔(The Devil Wears Prada)』(2006)、『ダウト~あるカトリック学校で~(Doubt)』(2008)、『ジュリー&ジュリア(Julie & Julia)』(2009)でアカデミー賞にノミネートされている。
今回の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』では、スウェーデンのポップグループABBA(アバ)のヒット曲で綴られた2008年のミュージカル映画『マンマ・ミーア!(Mamma Mia!)』のフィリダ・ロイド(Phyllida Lloyd)監督と再び組んだ。(c)AFP/Michael Thurston