【6月4日 MODE PRESS】これまで多くの雑誌や書籍を世に送りだしてきた名物編集者、菅付雅信(Masanobu Sugatsuke)氏が今年2月に星海社新書から刊行した「中身化する社会」が話題を呼んでいる。ソーシャルメディアによって可視化が進む世界のこれからのコミュニケーションと生き方をテーマにした本で、販売開始後、都内の主要書店で上位にランクインし、ネット上でも話題となっている。今回は、「中身化する社会」を執筆するに至った経緯など、詳しく聞いた。

■ブルックリンの人たちと東京の人たちの意識の差

―「中身化~」は菅付さんが去年ニューヨークから戻られたタイミングで私がお会いして、MODE PRESSで連載「ファッションが終わる前に」をお願いしたあたりから構想がスタートしたということですが、この本のなかで書いてある事って以前から気配として感じていたと事ですか?それともそこではじめて気がついたことですか?

菅付:この本を書こうと思ったのは、去年の5月にニューヨークに行ったことがきっかけで、それまでこういう本を書こうだなんてこれぽっちも思ってなかった。この本の冒頭で書いたように、去年5月にニューヨークに行った時は、主にブルックリンに行ったんですけど、そこで出会った人たちとか空気感とか意識が、日本の次の段階に行ってるいるなと思ったんです。ニューヨークは既に20回以上行っているんですけど、人々の雰囲気がかなり変わった感じがして、その人たちが大事にしていることが東京や日本の人たちとかなり違ってきていることを感じたんですよ。それを言葉にしたいなというのが一つのきっかけですね。去年6月に岩田さんからMODE PRESSの連載の話をいただいたときは、まだ本を書くことは全然決めてなかった。でもなんか言葉にしたいなというのは漠然とあって。MODE PRESSの連載もどういう形で書くとかまったく見えてなかったんだけど、キーワードとして「ファッション」についてなにか書いてみないかという話だったので自分の立場で何が書けるかなって考えたわけです。MODE PRESSだったらファッションに関係しているほうがいいに決まってるから、ではファッションは今後どうなっていくのだろうかと。

 ファッションに関して、服のデザインとかトレンド予想に関しては僕よりももっと詳しい人がいるわけなので、ファッションというものを人々はどう社会的な位置づけとして現在扱っていって、そのファッションの社会的な意味が今後どう変わっていくのだろうかということを書くのがいいのではと思ったんです。去年のニューヨーク体験で、現地の人たちがとにかくおそろしくカジュアルで、でもそれがダサいかっていったらダサくない。どちらかというと日本に帰ってきて、みんながスーツとかジャケットとか着ている姿を見て、改めて似合ってないなって思ったんですよ。そして安っぽい。でも向こうの人たちは安っぽくないんですよ。カジュアルなんだけど安っぽくないし、自分に似合った服を着ている。そのスーツやジャケットが似合ってない日本と、スーツやジャケットではないのにカジュアルなスタイルが似合ってるニューヨーク。

 あとは食の環境の違いが大きいですね。スーツやネクタイをしながらも、ファーストフードで食事をしている大人がたくさんいる東京と、ファーストフードが劇的に減って、ボタンダウンシャツにチノパンだけどかなりオーガニックなものを食べるのが普通になっているニューヨーク。特に気取らないけれど本質的なものにはかなりこだわっているブルックリンの人たちとの意識の差に次の時代のヒントをもらった気がしたんです。外観や内装はおしゃれなのに、水っぽい野菜とブロイラーの鶏肉が平気で出て来る東京の飲食店で量販店で買ったスーツとネクタイをしてランチを食べている人々と、外観と内装はかなり地味なものが主流で、そのかわりオーガニックな野菜と契約農場からの良質な鶏肉や牛肉を提供することが当たり前になっているブルックリンの店のカジュアルな装いの人々と、どっちが豊かなんだろうと思ったわけです。はたしてどっちがスマートなんだろうかと。

 そして、このオーガニック化、カジュアル化、本質化の急激な浸透は、情報と関係があるのではと思ったんです。当時のニューヨークは、その時の東京よりもはるかにスマホやタブレットが普及していて、今の東京はかなり普及していると思いますが、人々がものすごく情報を得ている。さらにカフェや電車の中で、ソーシャルメディアに熱心に書き込んでいる人がすごく目について、こういう情報環境の中では、もう半端な見栄やイメージ操作は無意味だなと思ったんです。なぜなら、興味の対象となる人や商品、お店の情報を、人々がすごく持っているわけなので、第一印象を良くしたところで、かなり中身がばれているわけなんですよ。出会う前に評価を知る時代に、見栄や外見的イメージは何の役にも立たないどころか、それに労力を使うこと自体がスマートとは思われない時代が来ているなと。では、ソーシャルメディアによって中身が良くも悪くも見え過ぎてしまう社会の中で、どうより良く生きて行けばいいのか、それがこの「中身化する社会」の執筆を思いついた主な理由です。

■生きる上で大事なことがもう変わっている

―ニューヨークから戻ってきて、本を書き終わり、いろいろな人の反応を見た中で東京の街は追いついているとおもいますか?

菅付:執筆を開始してから、サンフランシスコ、二回のロンドン取材があって、今年(2013年)の3月にもニューヨークに行って来たのですが、正直言ってそれら先進都市と差が開く一方だと思います。そこにはとても危機感を感じていますね。

―それってどうにかなるものなんでしょうか?

菅付:それは東京の人たちがどうにかしようと自覚しないと、どうにもならない。だからそれはシンガポールがとんでもなく努力して今の繁栄した状態があるように、今の日本人や東京の人間は、今シンガポールの国民くらいの努力をしないと追いつかないと思う。

―でも今の日本人の人たちに危機感ってあるとおもいますか?

菅付:困ったことにあんまりない。ある人はあるけど、ない人は全然ない。ない人のほうが多い気がしますね。彼らの多くの意識は、まだ20世紀の価値観の延長線上にあると思うんですよ。でも世界の先進国の先進都市は、もう21世紀の価値観を身につけて来ているんです。生きる上で大事なことがもう変わっているんです。

■大事なのは自分の主観ではなく、今の時代意識

―菅付さんが去年出した本、「はじめての編集」(アルテスパブリッシング)は編集やクリエイティヴについての教科書的な書籍ですよね。あの本もすごいけど、今回の「中身化~」はどれくらいの時間をかけて書いたものなんですか?

菅付:実質4ヶ月かな。他の仕事も平行してやりながらだけど。「あとがき」にも書いたように優秀なアシスタントたちがいるから、個人作業というよりもチームワークの産物なんです。「ゴルゴ13」のさいとうたかおプロのような(笑)。下調べは彼らがやってくれるので、そういう意味ではある程度精査された情報をまとめているんで、そんなにしんどくなかったですね。一度の徹夜も、土日をつぶしたりということもしてないです。

―この情報ってどういう風にして、そうとう深いものと新しいものが詰まってると思うんです。それを菅付さんはどこでキャッチアップしてきてるんですか?

菅付:どう情報を集めていったかっていうと、まずテーマが見えて、「中身化」というのは僕の造語なんですが、「中身化」という言葉をネット検索したって何も出てこないわけですよ。でもソーシャルメディアで可視化が進んだ社会の生き方とかコミュニケーションはどうなるのかというテーマははっきり見えたんで、そこからあの手この手、いろんな方法で世界中から情報収集したわけです。さらには有識者にもアポをとって取材して。日本のネタももちろん調べるんだけど、世界中でソーシャルメディアによって可視化されている社会ってどう語られているんだろうっていうのを徹底的に調べて、ソーシャルメディア問題に関する資料を集めまくったわけです。アマゾンのアメリカ版やUK版なども使って。それをアシスタントたちと手分けして、本当にすごい数のソーシャルメディアの本や記事を探して、片っ端から読んだ。アマゾンなしには出来なかったと言えるくらい。

―じゃあ世界中から資料を集めて?

菅付:加えて、ソーシャルメディアの問題点とか可視化の問題点について語っている内外のブログとか主に海外の新聞記事とか徹底的に集めて膨大なファイルを作ったんです、2、3ヶ月かけて。手分けしてスタッフみんなで読んでいって使えそうなところにマークしてセレクトして、印刷されたものはスキャンして、大きなアーカイブにして、そこから書き始めたって感じです。僕は「僕はこう思う」みたいに主観を延々述べるようなものはまったく書きたくなくて、「世の中を調べるとこうなっていて、その調査結果に関して、僕はこう思いますよ」という本を出したかったんです。大事なのは自分の主観ではなく、あくまで今の時代意識なんです。

―例えば「はじめての編集」もものすごいデータ量じゃないですか。でも今回のはまた違って、「中身化」は実践というか応用編だなという風に、リアルタイムな情報で、時差的な問題っていうものが殆どないですね。

菅付:「中身化」という状況が読み手にまさに今起こっていることだと実感してほしかったから、なるべく新しい情報を提供しようと。よっぽどいいネタとか、あまり使われてないものとかを除くと全部で2年以内に発表された書籍や情報にしたんですよ。ソーシャルメディアは生モノみたいな題材だから、あんまり古い本とかブログや新聞記事だと、状況が変わってるじゃないですか。例えば2,3年前はそんなにスマートフォンが使われてなかったし、そんなに人々はtwitterもやってないわけだから、状況が違うなと。

■消費よりも自分らしく生きることが大事だとやっと人々が気づいた

―ファッションもそうだけど、今までのやり方じゃ消費者が買ってくれないってやっとわかってきて、いろんなことが一気にここ何年かでシフトチェンジじゃないですけど、時代の流れの中で今すごい過渡期にあるのかなって思うんですけど。

菅付:結局消費がある程度のところまで行き着いちゃった先進国は消費者が成熟しているから、もう商品単体がすごく欲しいというよりかは、こういった生き方で、こういったライフスタイルを送りたいから、そこに付随するものが欲しいという方向に、消費欲が大きく変化しているんですよ。つまり消費するよりも、自分らしく生きることの方が大事だと。すごく当たり前と言えば当たり前なんだけれど、今までの消費至上主義の社会の中で、それははっきりと奨励されてなかった。でもやっと先進都市の人たちは気づいてきたということだと思う。

―でもきっと、今変えないともっともっと悪くなっていくといいう一方で、パワーのある人が気付くことで何かが起きるかもと期待もしてしまう。小さなことでも広めていくこと、伝えていくこと、果たす役割がすごく大きいと思うんですが。

菅付:編集者とかメディアの人間、クリエイターは時代のカナリアでなければならないと僕は思うんです。このまま行くと危ないと感じたら危ないと言い、どこに光があるのかも先に伝えたほうがいい。時代のカナリアとしての責任というのは少なからずあるのではと僕は思ってる。去年、何度も海外に行ったんだけど、先進国の先進都市の人々の意識は東京の人たちの次の段階に行っているのを感じるんです。人生で大事だと思うことが変わってきている。関心あることが、表層じゃなくなってきていて、すごく本質的になっていきているんですよ。そこは僕がすごく肯定的に伝えたいことなんです。大事なのは一過性の流行とか、「こっちの方がデザインがいい」みたいなことじゃない。そこが今回の変化のとても重要なポイントだと思っていて。先進国の先進都市の人々は生き方をシフトチェンジしようとしている。そこに僕は気付いたので、いい形で伝えたいなと思ったわけです。

■ライフスタイル産業化が進む中で、生産する人々のライフスタイルも問われる

―でも、メディア側としても、どう生き残っていくのか。我々も問われている。メディアだけでなく経済全般も、時代と同じく変化を求められていると感じているのですが・・・

菅付:これから産業全体がライフスタイル産業化していくのは間違いないと思うんです。ファッション業界だろうが美容業界だろうが飲食業界だろうが、ましてや家電や車の業界もそうなっていく。例えば、このスマホがほしい、カメラがほしい、バッグが欲しいというより、こういう生き方をしたいから、それを補完するものとしてカメラやバッグや車が欲しい、とみんなの意識が変わろうとしていて、その方向へ向かっている。すると生産する側のライフスタイルのスタンダードが商品にものすごく反映されてくる。つまり、作る人間の生き方やライフスタイルが商品とすごく密接な関係を持っていくことになる。日本がこれから急速にライフスタイル産業化していく世界において勝ち残るためには、生活のスタンダードを上げなければいけない。つまりハイスタンダードを指向しないといけない。逆にそういうことをやり続ければ、中国には間違いなく勝ち続けられる。でも、ちょっと気を抜くと、韓国やシンガポールに負けちゃうかもしれない。そういう危機感はある。その2国の方がグローバル化する世界の中で自分たちのスタンダードを上げようと本当に思っているから。そうしないと結果的に勝ち残れないと、日本人より先に気付いている。

―シンガポールはそれでいくと成功し始めていますよね

菅付:かなり成功している気がする。ライフスタイルのスタンダード性でいくと全然東京よりも高いよね。国の制度もそうだし、グローバルな世界で勝ち残ろうという意識が国家的に、戦略的にあるということですね。

―モノもヒトもメディアも、精査され、中身化していく中で、イメージを重視するファッション産業はどうなるんでしょうか?

菅付:僕は20世紀を代表する3大イメージ産業が衰退するとこの本のなかで書いていて、それらはファッション、化粧品と広告です。まずファッションは、MODE PRESSの連載でも書いたように、売上を伸ばすには服を軸にしたライフスタイル産業化をしていくしかない。衣服ビジネスそのものとして残っていくには、超コモディティ化、超ユーティリティ化、超宗教化という3つのベクトルを見据えた勝ち目を作っていくしかない。どれにもなれないのは生き残れない時代になってくる。化粧品がどう生き残れるかは、人を表面的に美しくするのではなく、人を健康的に美しくする産業にしなければならない。今までは不健康で美しくしていた。これからは、表面的に美しくすることよりも健康的にすることが大事になってくる。健康的でポジティヴであれば、人はノーメイクでも美しく見えちゃうから。健康的にして美しくする産業にどう移行できるか。口紅や香水の売上は先進国では落ちていて、21世紀においてはそこが美しさのポイントじゃない。そこを早く理解しないと・・・

■日本の企業の多くは「明日」の価値観を提示出来ていない

―それは今までの美容業界の人には受け入れがたい事実ですよね

菅付:でも、賢い消費者は既にそっちに意識が行っているから。消費者よりも意識が遅れている日本企業が多いと思いますよ。これは美容業界に限らず、今、厳しい状況にある日本の企業は、これからの来たるべき価値感を明確に提案できていない。例えば、ある日本の大企業が一般向けのカンファレンスをやるといっても、無理しても行きたいと思う人は少ないんじゃないかな。でもそれがアップルやグーグル、フェイスブックならみんな興味あると思うんですよ。またホールフードやトレイダー・ジョーズといった食の流通業でも人々は興味を持つと思う。それは彼らが「明日」を見せてくれるから。そこには、次なる世界や生き方が見えてくるから。今、うまく行っていない企業のカンファレンスでは、そこの新商品や年次報告は見られるかもしれないけれど、それが次なる価値観とか生き方の提示になってない。でも、ファッションのラグジュアリーの世界では、LVMHやケリング(Kering)はまだ世界で一番闘っているでしょう。先進国の消費者のラグジュアリー離れを彼らはちゃんとわかっているから、彼らは次なる世界のことは考えているはずですよ。

―メディアに関わる人間はもちろん、世の中にモノや情報を生み出す側の人間の意識が変わらないことには、日本は世界にどんどんおいていかれますよね。

菅付:見栄やイメージ操作はこれからは効かなくなるんです。20世紀後半の高度資本主義の世界では、人々が見栄を張るために膨大なエネルギーと時間を使っていたんだけれど、もはや可視化、中身化が進んだ世界では、それは意味がないということをソーシャルメディアが宣告しているわけです。これは資本主義の大きな転換点だと思う。そこを「そんなことはない」と思っていると、欧米先進国の先進都市の住民は既にそうなっているので、この大きな意識のシフトチェンジ、マインドセットの変化が理解出来ない。もちろん、見栄やイメージ操作は、発展途上の中国やアジアの新興国、中近東ではまだ効くかもしれないけれど、日本や欧米ではそういう見栄をくすぐるようなプロモーションはかなり効かなくなっていると思う。

■未来を怖く思うのは、情報が足りないから。ちゃんと調べれば怖くない。

―菅付さん、この本を続編出したほうがいいんじゃないですか?

菅付:続編ではないけれど、今、今年の冬に出す本の準備をしているんです。あるクライアントのスポンサードで、世界のトップの知識人たちに共通のテーマでインタビューしていて、バイリンガル本で出版するんです。そのため去年から何度も海外取材をやっているんですね。取材するにあたり、これからの社会がどうなり、みんなの生き方がどうなるか、いろんな資料を読んだり調べたりしていると、結構見えてくるんです。世界は意外に変わらないなという部分と激しく変わる部分があるけれど、一生懸命調べれば不安はなくなる。例えば旅行も探検も、事前によく調べればより安全にスムーズになるでしょう。未来社会がどうなるか、この数年ずっと調べているから、だいたい見えてくるんですよ。

―菅付さん、もうライフワークが見えていますよね!どこの瞬間でそうなったんですかね?

菅付:いや、昔から明日のことを考えるのが好きなんですよ(笑)。僕は人々がそんなに未来に対して恐れなくていいと思うんです。恐れるのは情報が少ないからで、人は情報が少ないと怖くなるんです。夜が昼よりも怖いのは、よく見えないからじゃないですか。でも情報を一杯集めて明日が見えてくると怖くなくなるじゃないですか。そういう意味では、ニューヨークやサンフランシスコの人たちは、リーマンショックで路頭に迷った時期もあったかもしれないけど、明日の情報をどん欲に吸収して、そこからいち早く抜けて次のステージに進んだ気がする。もう20世紀は感覚的に完全に終わった気が、向こうでは感じる。さらにいうと21世紀の幸福は、20世紀とはかなり違うものだと彼らは気がついてしまった。日本人もはやくそこに気がつかないといけないように思いますね。【完:岩田奈那】(c)MODE PRESS

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