【10月4日 MODE PRESS】未来についての考え方は、だいたい二通りある。今がうまくいっている場合は、未来は現在の続きとして楽観的に語られる。または、今は落ち込んでいるがまた戻るまで何とかしのごう、というのも根は同じだ。もう一方は、このままだともうダメなので今とは違う姿としての未来を思い描こうとする考え方だ。この場合の未来は不確定な要素が多くなってしまうので、そこに向かって踏み出す確かな理由と勇気が要る。

■ファッションの未来とは・・・

 ビジネスとしての業績不振がずっと続く中で、どちらの考え方かは別として、ファッションはいま少しずつ未来について語り始めたように見える。10月8日まで東京都現代美術館(The Museum of Contemporary Art Tokyo)で開かれている「Future Beauty 日本ファッションの未来性」展も、その一つ。そしてこの企画展は、ファッションの未来を探るための優れた示唆に富んでいたが、同時に未来を語ること自体の難しさも感じさせるものだった。

 展示では、1980年代からの三宅一生(Issey Miyake)、川久保玲(Rei Kawakubo)、山本耀司(Yohji Yamamoto)の作品を軸に、2010年代の若手に至るまでの日本ファッションの独自性を、無彩色の色使い、平面的なフォルムと身体の関係、伝統と先端技術を生かした素材使い、といった三つの特色に分けてまとめ、さらに新たな視点として「物語」をキーワードにした若手のコーナーを設けている。このまとめ方は、特別新しいとは言えない。だが作品選びや個々の作品解釈は的確だし、なによりも整理された実作品をみることで、この40年間の日本ファッションの特色の連続性が実感として強く感じ取れた。

■薄ぼんやりとした未来

 では肝心の「未来性」についてはどうかと言えば、それはほとんど薄ぼんやりとしか感じられなかった。その理由は、個々の作品やデザイナーが与えたインパクトが、その時の社会状況や年代ごとの時代背景とどう関わっていたのか?と考えてみる視点が欠けているからだ。その視点がなければ、なぜ同じレベルの創造的な服がある時は衝撃力とともに支持され、ある時はそうではないのか理解できない。

 「コム デ ギャルソン(COMME des GARCONS)」や「ワイズ(Y's)」が黒の衝撃として受け止められた80年代は、日本も含む欧米先進国の経済社会がピークだった70年代を過ぎて衰退し始めた時だった。だから消費社会化があえて言われ、先進国の産業は実際の必要性よりもイメージで欲望を刺激することで消費拡大を目指した。本当はそうしたやり方の旗振り役であったはずのパリを中心としたハイエンドのファッションは、モダンどころか相変わらずの高飛車な「エレガンス」を押しつける状態にとどまっていた。

■生き延びる活力を与えたイッセイ、ギャルソン、ヨウジ

 三宅一生や川久保、山本の服は、ラグジュアリーブランドの保守主義の行き詰りを刺激する前衛としての役を果たすことで、ファッションが次の時代に向けて生き延びる活力を与えた。三宅や川久保らがそれを意図していたわけではないだろうが、ファッション産業は80年代から急成長を続け、90年代には世界にマーケットを広げる高収益を挙げる巨大産業になった。

 たとえばコムデギャルソンの創造力の質の高さはまだ衰えてはいないと思うが、それが時代に与えるインパクトは以前とは確実に違っている。正統派に対する前衛としての意味はすでに終わってしまっているからだ。川久保や山本に刺激されたアントワープの前衛派は、独特の叙情感をもつドリス・ヴァン・ノッテン(Dries van Noten)と一見無邪気に先しか見ていないようなヴィルヘルム・ベルンハイト(Willhelm Bernhard)くらいで、他はもうとっくに影が薄い。(来年春夏のドリスの新作も、写真で見た限りではとてもよかった)

■見極めることの重要さ

 「日本ファッション」には、今も若手に受け継がれているような創造力の可能性が感じられることは確かだ。世界的にも洗練度が高かった服飾文化の伝統に加えて、欧米より遅れて近代化したがついに追い越してしまってその行き詰りを世界で最も早く体験し始めている現代日本の状況も反映しているからだと思う。問題なのは、ではその日本の想像力のどの部分がどんな理由で未来への可能性をもつのか見極めることだ。

 そのために必要なことは、19世紀ごろからヨーロッパを中心に本格化してついに行き詰ってきた「近代」がどんなものなのか、それを今そこに住む生活の中から実感としての疑問にそれなりに考えてみることから出発することだろう。ファッションは経済学や社会学とは違うし、いわゆる芸術とも違うのだから答えにおおげさな理論はいらない。だが、ファッションはただファッションのための閉ざされた世界ではない。ファッションを発信する側、そしてそれを着たり見たりする側を含む社会全体と関連させて多角的に考え、それに生き生きとした魅力を与えることが求められているのだ。【上間常正】

プロフィール:
1947年東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。学芸部記者として教育、文化などを取材し、後半はファッション担当として 海外コレクションなどを取材。定年退職後は文化女子大学客員教授としてメディア論やファッションの表象文化論などを講義する傍ら、フリーのジャーナリスト としても活動。また一方で、沖縄の伝統染め織を基盤にした「沖縄ファッションプロジェクト」に取り組んでいる。
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