NYの注目デザイナー プラバル・グルン、キャリアや祖国ネパールについて語る
このニュースをシェア
【10月14日 AFP】ニューヨークで活躍する若手デザイナー、プラバル・グルン(Prabal Gurung)が注目を集めている。彼が手がけるデザインは、世界のファッション誌で取り上げられるほか、ミシェル・オバマ(Michelle Obama)米大統領夫人や女優のデミ・ムーア(Demi Moore)などのセレブリティにも着用されている。
■ファッションの道へ
シンガポールで生まれたグルンは、ネパールのカトマンズ(Kathmandu)で育ち、その後一般的な中流階級のネパール人同様にインドの学校 で教育を受けた。ホテル経営を学んだ後に、ニューデリー(New Delhi)の国立ファッション工科大学(National Institute of Fashion Technology)に入学。そこで自らの進むべき道を見出し、卒業後にムンバイ(Mumbai)へ移動。世界的に活躍するインド人デザイナー 「マニッシュ・アローラ(Manish Arora)」のもとで働いた。
さらに国際的なファッションを学ぶためにロンドン、シドニーと拠点を移し、1999年にニューヨークに移住。ダナ・キャラン(Donna Karen)でのインターンを経験。その後、シンシア・ローリー(Cynthia Rowley)を経てビル・ブラス(Bill Blass)のデザインディレクターに就任。ニューヨークのファッション業界で着実にキャリアを重ねた。
■09年に念願のデビュー
09年2月には自身の名を冠したブランドの初のファッションショーを行い、長年の夢を実現した。「10代の頃、CNNの番組でファッションショーを観ていました。自分が同じようなことをするとは夢にも思わなかったです」と語る。米「ヴォーグ(VOGUE)」のアナ・ウィンター(Anna Wintour)編集長も彼の才能を認め、支援している。
■成功は母や家族のおかげ
毎年ネパールに里帰りするグルンは、自らの成功を振り返り「家族の存在が大きい」と語る。彼の母と姉妹はカトマンズでブティックを運営していたのだ。また名門一家出身の母は労働階級出身の父と、親族の反対を受ける中身分の違いを超えて結婚したという背景を持つ。「いまの私があるのは、家族のおかげ。特に、人と違うことの素晴らしさや、大衆に流されないことを教えてくれた母の存在が大きい」とグルン。
「はじめ母は私の成功に対し否定的で、『ミシェル夫人が着用したら教えて』と言っていました。実際にニュースを聞いたときは、一番に母に伝えま した」
■ネパールの実情
彼のドレスの価格は、同国の平均年収の約4倍にあたる1400ドル(約11万5000円)。だが、華やかなセレブリティが着用しようとも、地元ネパールで服作りは「女性の仕事」「職業的地位の低い仕事」だと考えられており、彼の功績はほとんど認められていない。グルンは「俳優のように人気、という訳ではないです」と笑う。
しかし、グルンは「ネパールの経済状況や所得の少なさを考えると、この国の人々はとてもクリエイティブだと思います。南アジアの他の国の人々より、流行に敏感です」と祖国を誇らしげに語る。
■ネパール出身のデザイナーとして
デミ・ムーアが着用して注目されたドレスは、ネパール女性の伝統衣装「Haku Patasi」からインスパイアされたもの。「ネパールとインドの両国から影響を受けた」と語る一方で、デザインに民族的な要素が強く出過ぎないように注意しているという。「ネパール人デザイナーではなく、ネパール出身のデザイナーとして見られたいです」
しかし、祖国ネパールこそが、自分の強みになっていると自覚してもいる。「ネパールはエベレストや仏教など、その美しさと神秘性で世に知られています。豊かな自然や文化遺産とともに成長し、関わりを持って生きているのです」(c)AFP/Subel Bhandari
【関連情報】
◆プラバル・グルン 11年春夏コレクション
◆プラバル・グルン 10/11年秋冬コレクション
◆「プラバル・グルン」のドレスがセレブに大人気
■ファッションの道へ
シンガポールで生まれたグルンは、ネパールのカトマンズ(Kathmandu)で育ち、その後一般的な中流階級のネパール人同様にインドの学校 で教育を受けた。ホテル経営を学んだ後に、ニューデリー(New Delhi)の国立ファッション工科大学(National Institute of Fashion Technology)に入学。そこで自らの進むべき道を見出し、卒業後にムンバイ(Mumbai)へ移動。世界的に活躍するインド人デザイナー 「マニッシュ・アローラ(Manish Arora)」のもとで働いた。
さらに国際的なファッションを学ぶためにロンドン、シドニーと拠点を移し、1999年にニューヨークに移住。ダナ・キャラン(Donna Karen)でのインターンを経験。その後、シンシア・ローリー(Cynthia Rowley)を経てビル・ブラス(Bill Blass)のデザインディレクターに就任。ニューヨークのファッション業界で着実にキャリアを重ねた。
■09年に念願のデビュー
09年2月には自身の名を冠したブランドの初のファッションショーを行い、長年の夢を実現した。「10代の頃、CNNの番組でファッションショーを観ていました。自分が同じようなことをするとは夢にも思わなかったです」と語る。米「ヴォーグ(VOGUE)」のアナ・ウィンター(Anna Wintour)編集長も彼の才能を認め、支援している。
■成功は母や家族のおかげ
毎年ネパールに里帰りするグルンは、自らの成功を振り返り「家族の存在が大きい」と語る。彼の母と姉妹はカトマンズでブティックを運営していたのだ。また名門一家出身の母は労働階級出身の父と、親族の反対を受ける中身分の違いを超えて結婚したという背景を持つ。「いまの私があるのは、家族のおかげ。特に、人と違うことの素晴らしさや、大衆に流されないことを教えてくれた母の存在が大きい」とグルン。
「はじめ母は私の成功に対し否定的で、『ミシェル夫人が着用したら教えて』と言っていました。実際にニュースを聞いたときは、一番に母に伝えま した」
■ネパールの実情
彼のドレスの価格は、同国の平均年収の約4倍にあたる1400ドル(約11万5000円)。だが、華やかなセレブリティが着用しようとも、地元ネパールで服作りは「女性の仕事」「職業的地位の低い仕事」だと考えられており、彼の功績はほとんど認められていない。グルンは「俳優のように人気、という訳ではないです」と笑う。
しかし、グルンは「ネパールの経済状況や所得の少なさを考えると、この国の人々はとてもクリエイティブだと思います。南アジアの他の国の人々より、流行に敏感です」と祖国を誇らしげに語る。
■ネパール出身のデザイナーとして
デミ・ムーアが着用して注目されたドレスは、ネパール女性の伝統衣装「Haku Patasi」からインスパイアされたもの。「ネパールとインドの両国から影響を受けた」と語る一方で、デザインに民族的な要素が強く出過ぎないように注意しているという。「ネパール人デザイナーではなく、ネパール出身のデザイナーとして見られたいです」
しかし、祖国ネパールこそが、自分の強みになっていると自覚してもいる。「ネパールはエベレストや仏教など、その美しさと神秘性で世に知られています。豊かな自然や文化遺産とともに成長し、関わりを持って生きているのです」(c)AFP/Subel Bhandari
【関連情報】
◆プラバル・グルン 11年春夏コレクション
◆プラバル・グルン 10/11年秋冬コレクション
◆「プラバル・グルン」のドレスがセレブに大人気