パリ・モード博物館で「仏ファッション―50年代のエレガンス」展、貴重なアーカイブの数々
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【8月13日 AFP】きゅっと締まったウエスト、柔らかく丸みを帯びたショルダーライン、裾広がりのスカート――「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」の有名な「Bonbon(ボンボン)」ドレスは、今振り返ると謙虚さと自制心の象徴のようだ。
しかし衣料の配給や戦時中の切り詰めた生活が何年も続いた後の1947年に発表されたこのシンプルなダスティピンクのウールドレスは、当時賛否両論を巻き起こした。
砂時計のようにくびれたシルエットを持つこの「ボンボン」ドレスは、女性たちにフェミニンなシルエットを取り戻してほしいと思っていたムッシュ・ディオールの願いを具現化したものだ。ドレスは現在仏パリ(Paris)のガリエラ宮モード博物館(Palais Galliera)で開催中の「1947~57年のフランス・ファッション(Fashion in France 1947 - 1957)」展で見ることができる。この展覧会では他にも、オートクチュールドレス100種類以上が展示されている。
この女性らしいカーブを強調したスタイルは、『ハーパース・バザー(Harper's Bazaar)』誌で「ニュールック」と紹介され、たちまち話題になったが、膨大な生地が必要だったため強い反発も招いた。
戦時中のワンピースはほとんどが3メートルほどの布で作られていた。一方「ディオール」の新しいイブニングドレスには、25メートルものタフタ生地が必要だった。ディオール本人も、「ボンボン」ドレスが大ブレイクした理由は「かわいかった」だけでなく、その値札にもあったと認めている。実は値段の付け間違いで、製作費よりもずっと安い値段で売られていたのだという。
同展のキュレーターの一人、オリヴィエ・サイヤール(Olivier Saillard)氏によればこのスタイルの影響力は非常に大きく、「他のブランドもこぞって真似した」という。
1947年からの10年間、オートクチュール界を支配していたのは数人の男性デザイナーらで、腰のくびれを強調したドレスはコルセットやエドワード朝時代への回帰を暗示するものでもあった。サイヤール氏は、「非常にエレガントながら、性的な魅力を強調した女性像を表現するものでもある」と指摘した。
■究極のフェミニンに反旗を翻したココ・シャネル
こういった究極のフェミニンドレスにうんざりしていたのが、ココ・シャネル(Coco Chanel)だった。モダンさに欠け、自由を手にした働く女性たちにはふさわしくないと考えていた。
シャネルは当時台頭していたスタイルに反旗を翻し、71歳でファッション界にカムバックを果たした。1954年に発表したコレクションは、2つの世界大戦を生き抜き、着心地や実用性を重視する女性たちの切なる願いを表現していた。当初、そのシンプルなストレートスーツやドレスは見向きもされなかったが、後に高い評価を受ける。
今回の展覧会では、一般には手が届かない、非常に手の込んだファッションデザインから、ディオールやシャネルに加え、クリストバル・バレンシアガ(Cristobal Balenciaga)、ジャック・ファット(Jacques Fath)、ジャック・エイム(Jacques Heim)、ユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)といったデザイナーらの人気作まで、オートクチュールの栄光の終焉期を称えている。
サイヤール氏は、「1950年代は、プレタポルテの到来でオートクチュールが有終の美を飾った時代だった」と語っている。この時代には、誰でもスタイリッシュな服を手に入れることができるようになりつつあったが、オートクチュールを買える裕福な女性たちのワードローブは非常に複雑なままだった。サイヤール氏が、「(オートクチュールの)顧客らは服を1日に3~4回着替えるのが普通だった」と語ったように、彼女たちの服は、普段着、旅行着、伝統着、ツーピースの普段着、旅行用コート、普段着用コート、昼食用ドレス、普段着用ドレス、普段着用のフォーマルドレスのように細かく分類されていた。中でもイブニングドレスは、夕方用ドレス、外食用ドレス、晩さん会用ドレス、ダンス用ドレス、キャバレー用ドレス、夜会用ドレスと、微妙な用途の違いに応じてさらに細かく分けられていた。
■50年代のシンボル、カクテルドレス
後に1950年代のシンボルとみなされるようになったカクテルドレスは、この時代に生まれた夕方用のイブニングドレスだ。戦後に初めて登場したカクテルドレスは、プレタポルテの普及に伴い1960年代初頭には早くも姿を消すことになる。
「エレガンスと実用性を兼ね備えた」カクテルドレスは、1950年代の『ヴォーグ(Vogue)』誌で「午後8時という早い時間から着られて、晩さん会やレストラン、劇場へ出掛けるのにもぴったり」と紹介されている。また、「肩を露出しても問題のない時間帯になるまで、ボレロやコートを羽織るのもおすすめ」とアドバイスもある。
展覧会では、アイボリーのシルクシフォン生地にメタル糸で刺しゅうを施した「ピエール・バルマン(Pierre Balmain)」のストラップレスの「Clorinde(クロランド)」ドレスや、「バレンシアガ」のピンクタフタの「Baby doll(ベビードール)」ドレスなどが展示されている。
こうしたカクテルドレスの消滅は同時に、古くからある多数のオートクチュールブランドの衰退も反映していた。
既製服を早い時期から推進していたデザイナーのピエール・カルダン(Pierre Cardin)は1959年、プレタポルテのコレクションを発表したことを理由にパリのオートクチュール組合から追放された。しかしプレタポルテは時代の変遷とともに勢いを増し、カルダンは結局後に組合への再加入が認められた。1946年に106軒あったオートクチュールブランドは、1958年には36軒にまで減ったという。(c)AFP/Helen ROWE