【5月7日 東方新報】中国の曁南大学(Jinan University)文化遺産創意産業研究院のグループが3月末、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)教育プログラムの一環で、京都府左京区の山間にある工房に漆工芸の名匠・八代目望月玉蟾(もちづき ぎょくせん)を訪ねた。「東方新報(Toho Shinpo)」はこのグループに同行した。

 八代目望月玉蟾の本名は望月重宏(Shigehiro Mochizuki)。望月家は江戸元禄時代から漆器工芸に打ち込み、宮中の御用絵師として400年余りの間に多くの作品を世に送り、世界博覧会にも出展し、日本の重要無形文化財の称号を得ている。

 八代目望月玉蟾は今年47歳、その名の通り漆工芸の伝統を受け継ぐ「望月家」の八代目当主だ。彼はまさに「ジャンルを跨いで活躍する不思議な芸術家」でもある。

 本業の漆工芸では曁南大学文化遺産創意産業研究院が主催した「『一帯一路(Belt and Road)』文化遺産協力交流展示会」に作品を出展し、またカジュアルな分野では、日本アニメ史に残る作品『新世紀エヴァンゲリオン(英題:Neon Genesis Evangelion)』の関連グッズにもその作品が使われている。

 また本業以外に、デザイン学の博士でデザイン事務所を経営し、大学の講師も勤めている。

 彼の工房には、家族や先祖代々の作品が飾られ、玄関には彼の母が書いた日本風の趣きに溢れた書が掛けられている。展示室には彼の祖父が描いた屏風が、そして300年以上前の古い掛け軸が飾られている。

 和室の一角には、かんざしや楽器、釣り道具などの金蒔絵の作品が並んでいる。作品に描かれた絵柄の多くは、桜、菊、鯉、鳳凰などだ。これらは日本古来のシンボル的作品であると同時に、1980年代以来の文化のグローバル化の中で、ストリートスタイルのヤッピー(都会の若者)の雰囲気も有している。

 黒地に金粉の配色、光によって微妙に変化する立体的な表面も相まって、八代目玉蟾の「伝統工芸作品」はどれも、今どきの反逆的な若者でも手に取って人に見せびらかしたくなるような出来栄えの逸品だ。

 彼の作品はもちろん高価だ。例えば、釣り竿は1本360万円で売られている。そんな高価な竿が果たして実際に使えるのか、水に浸かっても大丈夫なのかが心配になる。記者のこんな心配に対して、彼は「大きなマグロを釣っても問題ありません」と胸を張る。

 彼は記者に竿の柄をきつく握らせ、自分は竿先の方を持って、大物が釣り上がった時に掛かる圧力を再現した。一見弱そうに見える細い竿の強靭さを実演したのだ。

「美しく見栄えの良い品物だが実際の使用にも耐える、日常の生活に溶け込める、それがまさに本当の『働く道具』です。伝統工芸の職人としてそれを最も誇りに思うところです」、八代目玉蟾はこのように語る。

 漆工芸の家に育った彼は、しばらくの間、漆が世界の全てだと思っていた。小学校に行き、同級生の家に遊びに行った時、他の家では陶器やプラスチックの食器が使われていて、自分の家族以外には誰も漆器を使っていないことに気づいた。

 今にして思えば、それは当たり前のことだった。漆の食器は、産業革命、市民社会、グローバリゼーションによって淘汰されてしまった無数の伝統工芸品の一つとなっていた。

 漆器は美しいが、デリケートで高価なものだ。電子レンジや食器洗浄機は使えないし、使い終わったら捨てることもできない。生産工程も非常に複雑で、120もの工程があり、その全てが省略できず、専門的な分業体制を必要とする。これがこの伝統工芸の衰退に拍車をかけていた。

 大人になれば笑って話せることでも、当時の彼にはトラウマ的な衝撃だった。自分の一族が何世紀にも渡って身を投じてきた「家業」が、現実の世界や周囲の人びとにとって全く役に立たないもので、今後も役に立つことはないだろうという残酷な事実に、若くして気付いてしまったのだ。

「もはやそんな迷いはない人たち」は、何が有用か無用かではなく、何が機能的であるかどうかだけではなく、長い年月にわたる文化的な価値が存在することを理解できている。ただ、そういう見方は悪くはないが、彼にとっては慰めにならなかった。

 彼には伝統的な芸術家のような頑固さはほとんどなく、中国近代の小説家老舎(Laoshe)の「断魂槍(Duanhunqiang)」に描かれたような孤高の潔癖さも持っておらず、ただ実用主義的な柔軟な姿勢と、死に向かって生きていく楽天的な達観だけを持っていた。

 過去35年にわたり、彼は木、金属、ガラス、プラスチックなどの表面に漆塗りと金蒔絵を施し、金蒔絵のパールのイヤリング、アップルウォッチなど奇抜でユニークな作品を製作したこともあった。彼の傑作である金蒔絵ギターには、多種多様な技術が融合されている。米国の木材や楽器作りの知識、日本の金蒔絵の技術、中国の螺鈿細工の技法など、さまざまな技術が組み合わされたものだ。しかし、彼によれば、このギターは多くの試作品の中の数少ない成功例の一つに過ぎず、残りの95パーセントはみな失敗作だったという。

 上手くいかない物作りに多くの時間を費やすのは、もちろん挫折感を伴う。しかし、彼は「自分に真に責任があるとすれば、それは次世代、つまり様々な経緯で伝統工芸の道に入ってきた若者たちのために、より良い環境を作ることであり、彼らのためにまずは色々と試して、どんな物を作ることができて、どんな物が売れるのかを知らせて、少なくとも伝統工芸に携わりながら生きていけるように手助けをすることだ」と考えている。

 この戦いをやっているのは自分だけではないことも、彼はまたよく認識している。

 伝統工芸にさらに可能性を見いだすこと、物作りの衰退に歯止めをかけること、次世代のためにより良い環境を提供すること、そうした積極的で前向きな志と同時に、彼は多くのことを見通してきた。「以前は戸惑いもありましたが、今はありません。自分が今取り組んでいる作品の一部は残り、一部はいずれ消え去るでしょうが、それでもやり続けます」、彼はこう話す。

 伝統工芸が直面している課題は、技術革命や時代全体の美的な嗜好や価値観の変化だけでなく、継承者の問題がある。封建時代には大家族の中で多くの後継者がいたが、現在は少子化の時代だ。昔は師匠が「東に行け」と言えば、弟子は西には行けなかった。

 今は「2000年以降に生まれた世代」が世の中心で、職場のあり方も変化している。色々な意味で後継者不足の時代だ。

 八代目玉蟾の学生たちは、彼の工房に行ったこともなければ、彼がほとんど1日2時間しか寝ないという過酷な「修行生活」を20年以上も送ってきたことも知らない。

 彼は自身の1日のスケジュールを「朝3時に起床し、工房で午前9時まで仕事をした後、着替えて大学に教えに行き、夜7時に帰宅して夕食を食べ、それから設計事務所に行って夜中の1時まで仕事をする毎日だ」と説明する。

「本当に眠いんだ」と彼は言う。「しかし芸術もやり商売もやり、精神もパンも要る。結局は眠らないでがんばることが必要なんだ」と言う。

 彼自身もこんな生活がいつまで続けられるかは分かっていない。今まで「五体満足」で走り続けてきた彼の身体には、ここ数年でこのままでは身体が壊れてしまうと感じさせる様々なシグナルが出始めているようだ。

 幸いな点は、彼が精神的にまだ若さを保っていることだ。この精神的な若さが「もう少し生き延びること」に役立っていると、彼自身がそう思っている。

 広東省(Guangdong)江門市(Jiangmen)で開催された「2019年国際手工芸展覧会」に参加したことを振り返り、「当時の気分は『開心(上機嫌)』の2文字で表現できます。とにかく楽しかったです。現地で世界25の国と地域から集まった一流の職人たちと出会えました。言葉の面でコミュニケーションが円滑とは言えませんでしたが、みな同じような境遇ですからすぐに親しくなりました。現地では毎日一緒に食事をして、今でもメールで連絡を取り合っています」と、当時を懐かしむ。

 ここ数年の間に、当時の友人たちの何人かは結婚し、何人かは離婚し、何人かは感染症に見舞われ、何人かは最近になって再び活躍し始めたことを、彼は承知している。友人たちの人生の軌跡は、みな隣国の小さな都市、広東の文化を代表するあの場所で一緒に育んだ縁(えにし)なのだ。

 彼は、新型コロナウイルス感染症のまん延が最も大きな問題だったと言っている。「感染症まん延の影響で世界中の経済が苦しくなり、高価な漆工芸品を買い求める人がいなくなり、芸術家の生活は厳しくなりましたが、それは一時的なものでした。むしろ、人と会わないことに慣れてしまい、ズーム(ZOOM)のようなプラットフォームがあれば何でも解決できると考えるようになったとしたら、その時がまさに『芸術界の危機』の始まりなのです」、彼はこう強調する。

 八代目玉蟾は「今後、さまざまな分野や立場の人たちと腰を落ち着けて話す機会が増えることを望んでいます。世界中の同業者には、直面する共通の不安や課題があります。そういう人たちのそれぞれのストーリーは、きっともっと多くの人びとが目にすることができるはずです」と話している。(c)東方新報/AFPBB News