【記者コラム】シリア人記者3人が見た、フランス「黄色いベスト」デモの怒り
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【1月29日 AFP】フランスの首都パリでは、反政府デモ「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト、gilets jaunes)」が何週間も続いている。何万人もがこのデモを目撃しているが、シリア出身の3人の若者は明らかに異なる視点でデモを見ている。
3人はカメラを手に楽しみながらデモを取材し、すれ違う時には互いに目配せし、笑みや冗談を交わす。時々つらい記憶や哲学的な考えが頭をよぎるが、すぐにユーモアが戻る。
シリア人の彼らは、友人や愛する人の死、故郷ががれきと化すさまを目撃してきた。内戦から逃れた3人は今、欧州の都フランスの暴力を取材している。だが、その顔に浮かんでいるのは、ほほ笑みだ。
2018年11月中旬から始まったジレ・ジョーヌは、過去数十年のフランスで最悪の暴動と化した。数百人が逮捕され、何百万ユーロもの損害が生じ、4人が死亡した。警察は催涙ガス、放水銃、閃光発音筒(スタングレネード)を使用している。当初は生活水準の低下に抗議する人々が始めたデモに、破壊行為や迷惑行為を行う人々が加わり、デモによる被害は甚大なものとなった──。
【編集部注】語り手は、シリア人ジャーナリストのアブドゥルモナム・イッサ(Abdulmonam Eassa)、サミール・ドゥミー(Sameer Al-Doumy)、ザカリア・アブデルカフィ(Zakaria Abdelkafi)の3氏。以下、「アブドゥルモナム」「サミール」「ザカリア」と表記。
アブドゥルモナム:フランスでの新たな生活は、穏やかな日々を通じて人生を立て直すことになるだろうと想像していた──新しい言葉を学び、新しい友達をつくり、平和な国での生活を楽しむ。パリのシャンゼリゼ(Champs-Elysees)通りで、シリアでの軍事攻撃のフラッシュバックが起こるなんて思いもしなかった。
私はフォトグラファーとして、シリアが地獄に落ちていく7年間を取材した。故郷のグータ(Ghouta)で過ごした最後の2か月は、特に悲惨だった。数々の友人の死、遺体安置所でわが子の遺体を見て嘆き悲しむ親たちの姿。空爆で母親が殺されたばかりの幼児を抱きかかえて、通りを走り抜けたこともある。その子は足首が骨折し、ぶらぶらしていて、泣き叫んでいた。私は飢えとは何か、恐怖とは何かを知っている。身も心も完全に疲れ果てると何も感じなくなることも知っている。
最終的にシリアを逃れ、パリにやって来ることができた。言葉を学び、街を歩き回り、家が空爆される恐怖がない生活にも慣れた。写真は撮り続けている。なぜなら私はフォトグラファーで、撮影が大好きだからだ。
サミール:催涙ガスのにおいを嗅いだとき、温かく心地よい感じが全身に広がった。最後にそのにおいを嗅いだのは8年近く前、シリアで民衆蜂起が始まったときだった。においは過去の記憶を強烈に呼び起こすとよく言われる。私はすぐに、あの頃のシリアでのデモを思い出した。当時のデモは平和的だった。長年独裁政権下にあったシリアの人々はただ、もっと自由が欲しかっただけなのだ。当時、警察が私たちに向かって使ったのが催涙ガスだった。銃弾も、追撃砲も、空爆もまだなかった。多くの友人や愛する人々がまだ生きていた。故郷が空爆でがれきになってもいなかったし、生活環境は良かった。今になって思うと、素晴らしい日々だった。パリで初めて嗅いだ催涙ガスのにおいは、そんな記憶をすべて呼び起こした。
パリの抗議デモの取材中、どうしてもシリアと比較してしまった。
最も際立った違いは警察だった。今回のデモは、フランス人にとっては非常に暴力的なのだということに私は気付いた。群衆をコントロールするために警察は催涙ガス、スタングレネードといった非殺傷兵器を用いた。何百人も逮捕者が出た。だが、警官との接触はシリアとフランスでは雲泥の差があった。
フランスの警察は、カメラを持っていれば、デモの現場まで通してくれるのだ! 私は警官に向かって歩いて行き、身分証明書を見せながら、片言のフランス語で自分はジャーナリストだと言った。その警官は正式な記者証を示すよう求めたが、私はまだ持っていなかった。そこで携帯電話で自分が撮った写真を検索して見せると、警官は驚き、すぐに通してくれた。
シリアだったら、カメラを持っていたら警察に誘拐される。警察からはできるだけ離れていないといけない。
アブドゥルモナム:(黄色いベスト運動の)デモの参加者の一部が行った暴力にショックを受けたと言わざるを得ない。車を燃やしたり、店舗の窓を壊したりしていた人々のことだ。こういう暴力があるとは思ってもいなかった。フランスでは人々が文明的で、デモも礼儀正しく行うものと思っていた。こんな衝突は想像しなかったし、警官もそこら辺に立って眺めているだけだろうと思っていたし、催涙ガスで窒息しそうになるなんて思わなかった。警察が最初に催涙ガスを使った週末は、自分の身を守るものを持っていなかった。ただ、シリアで暮らした最後の何週間かに身に着けていたのと同じスカーフをしていた。
こんな出来事をパリで目にするなんて人生で一度も想像しなかった。この写真は、燃やされた車から炎が立ち上がっているところだ。写っている男性は、車の爆発から守ろうとして顔を覆っている。
もちろんシリアとは比べ物にならない。だが、パリの中心部で爆発の取材をするとは思いも寄らなかった。
ある時点から、警察がスタングレネードを使い、ヘリコプターが上空を舞い始めた。ある警官が吹いた笛の音は、まるでミサイルの飛行音のように聞こえた。シリアでの出来事のフラッシュバックが起こったのはその時だ。ほんの一瞬だった。一体全体、パリはどうなってしまったのだろう、と思った。
だが、激しい暴力のわりに死者は出なかった。シリアでは民衆蜂起の初期のデモは全く平和的だったが、それでも多くの人が死んだ。
シリアでは、平和的なデモでも人が死ぬ。ここでは、暴力的なデモだが誰も死なない。
サミール:私たちシリア人が最初にデモを始めたのはただ、自由、正義、平等を求めるためだった。政権を倒すという目標さえも、最初のうちはなかった。それなのにシリア政府は直ちに私たちを殺し始めた。フランスの人々がここでやっているようなことをシリアでやれば、政府はおそらく直ちに化学兵器を使うだろう。
デモ中に男性が叫んでいる声が聞こえた。「これは戦争だ!」って。思わず笑ってしまった。私がどう思ったか想像できるだろう。これは戦争なんかじゃないですよ、あなたにとってはこれまでに経験したことがない、ひどい暴力なのは分かりますが…と。でも、これは戦争ではない。全然違う。
アブドゥルモナム:デモの参加者の振る舞いを見ただけでも、2か国の違いが浮かび上がる。パリでは警察が命じれば参加者たちはその場所から離れるが、別の場所に集まってデモを続け、またトラブルを起こす。逃げる必要は感じていない。誰もデモの参加者を銃撃したりしない。
警官に引きずられるデモの参加者の写真を撮った。警官とデモ隊とで口論となっていた。1人の警官がこの男性に走り寄って警棒でたたくと、他の警官がこの男性を引きずって連れて行こうとした。そこへデモの参加者が5人ほどやって来て、警察からこの男性を奪った。
シリアでは、こんな風に逮捕されようとしている人のところへやって来て、助けることは決してない。警察が近づいてきたら逃げるしかない。捕まったら、殺されるからだ。シリアのデモは催涙ガスや逮捕だけでは終わらない。しまいには参加者が死んだり、行方不明になったりする。
経験はないが、フランスでの逮捕とシリアでの逮捕は全く別のものだろう。ここ(フランス)では、デモの参加者は誰かに撃たれることがないことも、逮捕されても拘束中に死ぬことがないことも分かっている。
サミール:フランスでは、警察側とデモ隊の間をどちらにも簡単に行き来できることに驚いた。デモの参加者を撮影して、そのまま警察側に移動できる。シリアでは警察に近づくことはできない。警察は何であれ一切、写真を撮らせたくないと思っているので、撮影しようとすれば逮捕され、消息不明になる。誰もがそれを知っている。シリアでは警察側から写真を撮っている人物は皆、警察のスパイだと思われる。フランスの警察もデモを撮影している。だが、誰も私たちのようなジャーナリストを当局のスパイだとは思わない。
ザカリア:シリアではデモの参加者と警官が一緒にいる写真は撮れないが、ここではデモの参加者が警官に話しかけていたり、ののしっていたり、そのような写真が山ほど撮れる。これはシリアでは絶対にない。デモに参加するならば警官には近づかない。やってはいけないことだ。
フランスに住んで3年になるので、デモの参加者の身にシリアのようなことが起きないのは分かっている。ここには表現の自由の空間がある。シリアもそうだったら、どんなにいいだろう。政府は民衆の声に本気で耳を傾ける気がなかったとしても、せめて政府に向かって意見を言う機会を与えてほしい。シリアに表現の自由があれば、内戦にはならず、国が破壊されることはなかっただろう。
アブドゥルモナム:フランスのデモを見て、世界中どこでも人間というものは同じなんだなと思った。生活の改善を求めてデモをする人もいれば、そうしない人もいる。デモをしない人は自分の生活に満足している。シリアでも2011年3月にデモが始まったとき、全員がデモに参加したわけではなかった。フランスでも同じだ。この写真の男性はデモ隊と警察が衝突している最中に、自転車に乗って真ん中にいた。周りでは物が燃えている。男性は自転車を止めると周囲を見渡し、また自分の日常生活に戻って行った。
最近のデモで印象に残ったのは、私服を着た警官がいたことだった。シリアにも似た集団がいて、「シャビーハ(shabiha)」と呼ばれている。フランスの私服警官はまさにシャビーハ(シリアの親政権民兵集団)のような服装だった。私服警官たちはデモ隊の中に忍び込み、参加者をつかんでは連れ去っていた。誰もがターゲットだった。
サミール:放水銃の前にひざまずき、両手を上げている女性がいた。警察は彼女に向かって放水銃を放ち、催涙ガスを投げつけた。女性は負傷した。周りの人々が駆け寄って女性を連れて行こうとしたが、女性はそれを拒否した。こんな光景を目にするとは思わなかった。その女性はどう見ても平和的だったし、武器も持っていなかったのに、なぜそんな暴力を使うのだろう?
ザカリア:警官が手にスタングレネードを握りしめている写真を見て恐怖を覚えた。なぜなら、デモの参加者に向かって警察がそのようなものを使用することが許されるとは思っていなかったからだ。暴力行為があるかどうかにかかわらず、警察はこういった類の強力な武器をデモの参加者に使うべきではない。シリアでデモに参加していた友人たちが、同じような形の武器で警官に殺されたのを見たことがある。友人の一人は同じジャーナリストで、私の数メートル先で死んでいった。あの形を見るだけでゾッとする。
女性警官を撮ったこの写真は好きだ。彼女は私が写真を撮ろうとしていることに気づき、笑いかけてくれた。目を見れば分かる。私にとってこの写真は、今回のデモを要約している出来事の一つだと言える。彼女は写真を撮らせてくれた上に、笑って協力してくれた。シリアでは考えられないことだ。
逆に、ある男性が取り押さえられているところを撮った写真には、気分が悪くなる。これを見ると、兄がシリアで拘束されたときのことを思い出すからだ。そのとき、私は家に居なかった。パリの写真に写っているような私服警官が、私を探して家に来た。デモの写真や映像を撮っていたジャーナリストの私を逮捕したかったのだ。兄が私はいないと告げると、警官は兄に身分証明書を見せるように言った。そして彼らは、対応したのが私の兄だと分かると連れて行った。2012年のことだ。それ以来、兄から連絡はない。生きているのか死んでいるのかも分からない。兄は結婚して、子どもも1人いた。
兄が拘束されるところは自分の目で見なかったが、他の人が拘束されるところは大勢目撃した。この写真は彼ら全員を象徴するものだ。拘束された男性はフランス国旗の色のシャツを着ていた。警察に逮捕される瞬間、男性が言い放った。「私もあなたたちも同じフランス人だ。なぜ戦わなければいけないのか?」
アブドゥルモナム:「ジレ・ジョーヌ」を取材した私の写真などを見たシリアの友人にからかわれた。「どこへ行ってもトラブルがついてくるな」って。私たちは何年も死が身近にある暮らしをしていたため、気楽に捉えるように習慣づいていて、そんな冗談をたくさん言い合っている。
でも友人たちは時々、フランスもシリアと同じ道をたどるのではないかと心配している。シリアの内戦も、平和的なデモから始まったからだ。だから、私は彼らに違いを説明しようと試みる──パリのデモでは大勢が死ぬ事態は起きていない。それに人々がデモをしているのは週末だけだ。週の他の日は何も起きていない。そういうところは非常に礼儀正しいのだと。
サミール:シリアとの大きな違いの一つは、デモが一日中続き、夜も行われるということだ。シリアでデモが始まったときには、私たちは事前に計画を立てなければならなかった。場所を決め、5分、10分、15分デモをし、警察が来て逮捕される前に解散する。それに比べてパリのデモは、オープンバーのようだ。誰でも参加でき、何時間もパーティーのように続く。「ジレ・ジョーヌ」のデモが始まったとき、取材に行くたびに周りには、パーティーに行ってくるよと言っていた。
アブドゥルモナム:注意しろよ、フランスで殺されるなよって冗談を言ってくる友人もいる。そんなときには、冗談だろ?と切り返している。フランスは全く違う。デモの取材が終わったら、カフェで一杯やるくらいだ。
ザカリア:アブドゥルモナムとサミールがまだシリアにいた頃、私はすでにフランスにいた。2人が撮った写真を見ていたので、2人が何を経験したか知っていた。彼らと同じチームの仲間としてシャンゼリゼ通りで働く日が来るとは想像もしなかった。
アブドゥルモナム:私たちが取材中に笑っているので、おかしな目で見られたことが何回かあった。あまりに面白がって笑っていたので、頭がおかしくなったと思われたに違いない。一度、編集部に写真を送ろうとして立ち止まっていたら、警官がスタングレネードを3個投げ付けてきたことがあった。1個は私の数メートル脇に、もう1個は私の背後に落ちた。それを見て、笑ってしまった。
私たちが、恐ろしいことをたくさん目撃してきたことを理解してほしい。友人が何人も死に、自分の目の前で死んでいくことも多かった。愛する人たちが何人も行方不明のままだ。あまりにも多くの痛みと悲しみを目撃した。そんな私たちにとってパリのデモは、人々が車を燃やそうと、催涙ガスが使われようと、危険に感じないんだ。
なぜならば、何が起こっても、死ぬことはないと分かっているからだ。ゴム弾で撃たれたり、催涙ガスを大量に吸い込んだり、いわゆる「フラッシュボール」が当たったりするかもしれないが、フランスの警察が暴動の鎮圧に用いるのは非致死性の武器だ。私たちが死ぬことも、行方不明になることもない。
それに、私たちはチームで働いている。シリアで取材していたときは、ほとんど単独行動だった。フランスでは3人一緒だし、AFPの他のフォトグラファーも一緒だ。運よくシリアの内戦を生き延びた私たちにとって、フランスのデモ取材は楽しいものだ。私たちにとって、とても楽しいことなんだ。
このコラムは、現在は仏パリを拠点とするシリア出身のフォトグラファー、アブドゥルモナム・イッサ、サミール・ドゥミー、ザカリア・アブデルカフィの3氏と、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が共同で執筆し、2018年12月10日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。