高齢化した元島民が語る「北方領土」、戻れないかもしれない故郷
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【11月13日 AFP】第2次世界大戦(World War II)終結から数日後、択捉(えとろふ)島の家に押し入ってきた旧ソ連軍兵士が10代の姉を連れて行こうとしたことを、長谷川ヨイ(Yoi Hasegawa)さん(86)は今でもはっきりと覚えている。
銃を突きつけられながらも、兵士と姉妹との間に父親が立ちはだかり、「俺を殺してからだ!」と叫ぶと、兵士はそのまま何もせずに出て行ったという。
「そのとき、私もみんなも死ぬんだと思いました」と、AFPの取材に長谷川さんは語った。
当時、長谷川さんはまだ13歳だったが、故郷である択捉島の懐かしい思い出はちゃんと残っていると話す。
択捉島は第2次世界大戦後に旧ソ連が占領した4島のうちの一つ。日本では北方領土として知られているが、ロシアではクリル列島と呼ばれている。北方領土の帰属に関する問題は、日本とロシアの間で平和条約を締結する上で障害となっている。
当時、子どもだった住民も今では高齢となり、故郷に戻ることの難しさを痛感している。1万7000人いた元住民の60%以上はすでに死去しており、生きている人たちの平均年齢も83歳となった。
国後(くなしり)島に住んでいたという脇紀美夫(Kimio Waki)さんの父親は、旧ソ連による占拠を受け、重要な書類をかめに詰めて地中に埋めた。島に戻る日に備えての行動だ。
だが、脇さんの父親は生きてその日を迎えることができなかった。現在77歳の脇さんも、帰還については悲観的だ。「こと領土に関しては全く動いていない。70年間動いていない」と脇さんは述べ、「本当に悔しい。その言葉以外に出てこない」と続けた。
脇さんも、当時のことは鮮明に覚えている。「見知らぬ大きな大人が、機関銃を持って土足で家の中に上がり部屋を物色していた」「恐ろしくて、恐怖におびえていた」とその時の様子を振り返った。
4歳だった脇さんはその後、家族で島にやってきた相手国の子どもと友達になった。だがその友好関係も3年後に突然終わった。島の日本人が強制退去させられたためだ。中には、底に板を敷いた漁網に入れられ、魚のように持ち上げられて貨物船に乗せられた人もいた。
「サンマみたいに扱われ、人間扱いされなかった」