【11月9日 AFP】ドイツの極右勢力は、ドイツ帝国と第1次世界大戦におけるその役割を復活させようと試みている。第1次大戦の休戦協定から100年を迎える今、何十年も前の論争が蒸し返されている。

 独極右系雑誌「コンパクト(Compact)」は11月の特別号で、連合国とドイツの間で1919年に締結され、ドイツに第1次大戦の巨額な賠償金を科すこととなった講和条約「ベルサイユ条約(Treaty of Versailles)」を特集している。この雑誌は、反移民・反イスラムを掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に近い。

「ベルサイユの恥辱―戦勝国はどのようにドイツを奴隷にしたか」という記事のタイトルは、1920年代に帝政時代への郷愁を感じていた人々やナチス・ドイツ(Nazis)が用いた言葉遣いを思い起こさせる。この記事は、20世紀最初の破壊的な大国と長年みなされてきたドイツ帝国(1871~1918年)の再評価を試みている。

■「強国への道」

 独ハンブルク大学(Hamburg University)の歴史学者だったフリッツ・フィッシャー(Fritz Fischer)氏が1960年代初めに発表した論文は、ドイツ国内で論争を引き起こした。第1次世界大戦とソンム(Somme)、ベルダン(Verdun)、ガリポリ(Gallipoli)の戦いの責任は、唯一ドイツ帝国にあるという内容だった。

 フィッシャーは著書「世界強国への道―ドイツの挑戦、1914-1918年(Bid for World Power)」で、ウィルヘルム2世(William II)の臣下は人種差別主義者や帝国主義者のエリートが占めており、ドイツを世界の強国にしようとして意図的に第1次世界大戦を引き起こした、と主張した。

 フィッシャーは、ドイツが欧州とアフリカを支配するために、オーストリア大公フランツ・フェルディナント(Franz Ferdinand)の暗殺に端を発した危機に乗じてフランスとロシアとの戦争に突入した、そしてその満たされなかった野望が後にナチス政権誕生へと道を開いた、と論じた。この主張は、ドイツが戦ったのは防衛戦争だったと信じていたドイツ国民の考えを覆すものだった。

「ドイツ帝国と軍国主義、帝国主義に対する辛辣(しんらつ)な批判」を核とするフィッシャーの主張は「今日でも左派の間で広く共有されている」と、独フライブルク大学(Freiburg University)のヨルン・レオンハルト(Joern Leonhard)氏は言う。

 それとは対照的にAfDは、ドイツ帝国を「近代的で、産業が発達した、非常に保守的な国」として「美化」しようとしていると、歴史学者クラウスペーター・ジック(Klaus-Peter Sick)氏は指摘する。