【記者コラム】米西部の別世界
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【10月13日 AFP】好奇心から始まった交流は、やがて第二の故郷のような歓迎を受ける間柄となり、温かく、気楽で、親密な友情へと発展した。
米東海岸で生まれ育った私のような人間にとって、ロデオは別世界の出来事だ。コロラド州での休暇中にスノーマス(Snowmass)のロデオ大会に遭遇した時、写真映えはするが、西部の風変わりな習慣だなと思っただけだった。
写真家として私は、カメラを持たずに出かけたことはほとんどない。そこでも周囲の人に写真を撮っていいか聞いてみると、1人の中年の女性を指さされた。ジーンズを履き、カウボーイハットを目深にかぶり、首にバンダナを巻いていた。
その女性はオープンな性格で、写真を撮っても構わないが、ロデオは知らない人にとっては非常に危険なので、少し離れているようにと言われた。
この女性がロデオ界の伝説、ダーシー・ボルド(Darce Vold)さんだと知るのはもっと後になってからだ。ボルドさんの家族は何十年も牧畜馬ビジネスに携わっていて、主にロデオ用の家畜を全米中に供給している。ボルドさんは、伝統のロデオ大会「スノーマス・ロデオ(Snowmass Rodeo)」の取締役でもある。だが、私たちが言葉を交わした時、彼女がそんな有名人だとは全く思わなかった。これが、この新しい世界のやり方だ──堅苦しくない。
写真家にとって、特に私のようなフリーランスにとって、人との関係を築くことは重要だ。どこに行こうとも、人と親しくなれば写真を撮るのに役立つ。ボルドさんから歩き回ってもいいと許可をもらったので、色々な人に話しかけてみた。
そのうちの1人の男性と意気投合した。ボルドさんと同じようにオープンな性格で、気取ったところがなく、親切だった。どこから来たのか聞かれて答えると、東海岸はどんなところかと尋ねられた。少し、政治の話もした。男性は近くで大牧場を経営しているので、牧場を見たいと思ったら事前に連絡も要らないから、ただ家まで来てくれればいいと言った。私はその言葉にとても驚いた。ワシントンDCでは、連絡なしで来てもいいなんて誰も言わない。
そこで数日後、ウイスキー1本を持って、連絡なしに行ってみた。男性は牧場を案内してくれ、何時間も2人で話をした。よくある言い方かもしれないが、美しき友情の始まりだった。その男性、ジム・スナイダー(Jim Snyder)さんは、スノーマス・ロデオの運営を担っていた。一緒にウイスキーを飲み、星を見に行き、親しくなるとロデオの会場で、他の写真家たちが入ることができないような場所にも入れてもらえるようになった。ジムはロデオ大会の運営を任されている人物であり、周りの人は私が彼から許可を得て会場を歩き回っているのだと分かっていた。
おかげで、いい写真を撮ることができた。今年は乗り手がロデオの準備をしているところを、家畜の囲いの後ろから撮影した。乗り手に近付くことができたので、いい写真になった。だが、ブロンコ(半野生馬)の子どもに近付きすぎて、蹴られそうになったこともあった。
以来、毎年ジムの大牧場を訪れるようになった。これまでの友人たちとは、異なる種類の友情だった。私たちが育ってきた世界は全く異なる。私にとって、気楽で、堅苦しくない人物と話すのはとても新鮮だった。ジムは写真を撮られることにも寛容で、自分の人生やロデオのことを語ってくれた。ロデオはかつては西部の風景に欠かすことができないものだったが、今ではある意味、死に絶えつつあるということも聞いた。
スノーマス・ロデオは小規模で、西部全体で徐々に消えつつあるロデオの伝統を人々に伝える目的で開催されていることも、私にとっては幸運だった。
スノーマスは、スキーリゾートのアスペン(Aspen)の近くに位置し、全米中、そして世界中から観光客が集まってくる。私が初めてスノーマス・ロデオに来た時、隣に立っていた家族はフランスから来ていた。
次世代の若者がロデオに興味を持つようにと、スノーマス・ロデオ大会では、荒馬乗りの子ども版「荒羊乗り」が行われている。子どもたちが羊の背にまたがって、振り落とされないようにできるだけしがみつく競技だ。
これは、スノーマス・ロデオがよそ者に開かれていることを示す例の一つに過ぎない。大会主催者たちは、ロデオを知らない人たちにロデオの体験を共有してもらおうと一生懸命だ。ロデオの司会者はアリーナの中で起こっていることを逐一説明してくれる。小さな町ならではの雰囲気が満載だ。
私のようなよそ者はロデオに魅了される。西部の伝統に深く根差し、今に伝わっていることがその理由の一つだ。そして、ロデオが非常に米国的なものだからということもある。プロスポーツを見るよりも、はるかに身近に感じる。写真家としては、ロデオが光で演出されていることも興味を引く。明るいうちに始まり、夕暮れになり、夜になる。素晴らしい写真になる。
もう一つ私が感銘を受けたのは、ここの人たちが異なる環境から来た人間を快く受け入れてくれることだ。私のような完全なよそ者も参加でき、コミュニティーの一員として歓迎される。ここで働く人々の多くは、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領の支持者には違いない。一方、私はトランプ氏のお気に入りの標的であるメディアの一員だ。だが、ここに通い始めてから3年の間に、メディアに対するトランプ氏の言葉は憎しみを増していったが、私に対するここの人たちの態度に変わりはない。
私の服装に対する反応も変わっていない。
ロデオ大会に転がり込んだ初めての年、私はハイキングに行くような恰好をしていて場違いに見えた。
2年目は、私が想像するところのカウボーイのような恰好をしていったが、やり過ぎて少しばかげて見えた。今年はその中間のような恰好をしたが、やはりあまり馴染んでいないように思えた。だが、この3年間、私をちらっと横目で見たり、服装について批評したりする人は1人もいなかった。誰もが、あるがままの私を受け入れてくれている。
このコラムは米ワシントンD.C.を拠点に活動するフリーのフォトグラファー、アレックス・エデルマン(Alex Edelman)氏が、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2018年9月28日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。