【記者コラム】「ファラオの海」の癒やし
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【9月22日 AFP】カイロの通りや広場を歩くのは息が詰まる。高い建物がそびえ立ち、渋滞で全く動かない車から聞こえる絶え間ないクラクションの音や、仕事に行くため、子どもを学校に送るためバスやタクシーに飛び乗る人の波に圧倒され、消耗してしまう。
私が育ったエジプトの地方の村々の暮らしは、2000万人が住む眠らない巨大都市カイロの暮らしとは天と地の差がある。
私はカイロの北に約65キロ行ったシャンマ(Shamma)にある小さな集落で生まれた。大都市に暮らす人々の多くは、ナイル川のほとりの村での暮らしがどういうものかあまり分かっていない。地方の村には、そこで育った人にしか理解できない何かがある。私のように牧草地の真ん中で育った人には、多くの恵みを与えてくれる大地を慈しむ感情が芽生える。
私は長年カイロで働いているが、機会を見つけては車で生まれ育った村まで戻り、畑を歩き、新鮮な空気を吸い込み、見渡す限り広がる地平線を眺める。
エジプトでは、大地への愛情は、神の贈り物と考えられている壮大なナイル川の香りと共にある。ナイルは周辺の土壌に水をもたらす豊穣(ほうじょう)の象徴だ。
私が子どもの頃、周りには大地や水に情熱的な愛情を持って仕事をする農民や漁師がたくさんいた。私はよく、「なぜあんなに愛情を込めているのだろう?すべての仕事は同じで、お金を稼ぎ、一日の食料を手に入れるのが目的なのに。なぜあんなに仕事に情熱を持てるのだろう?」と思っていた。
大人になり、農民や漁師と交流するようになり、彼らが自分たちの仕事を単なる生計の手段だと思っていないことを知った。自分の仕事は、何世代にもわたって伝えられた大切なものだと思っているのだ。
都会から来た友人に、自分の村の周りを見せて回ったことがある。友人が魚を買いたいと言い出したので、フィシャ(Fisha)に連れて行った。その村は魚の質がいいことで知られていた。
実を言うと、私もフィシャに行ったことはなかったが、着くとすぐ、その場の雰囲気に魅了された。漁師が「ファラオの海」と呼ばれる湖に網を投げている。漁師たちが使っている道具はとても原始的なものだが、魚がよく取れる。私はその村で一日を過ごすことにし、写真を撮りながら漁師たちにこつを教えてもらおうと思った。
この「海」は巨大な湖で、地元の人によると、50年ほど前にナイル川の一部が切り離されてできたという。今日、10平方キロの広さを持つその湖は、湖岸の約50の村々に住む人々の生活の手段となっている。湖の水位は徐々に下がっていて、村人たちは将来に不安を覚えていた。
ティラピアで有名なこの地域で、湖に出て、網を投げ、魚を取ってきた祖父や父の伝統を守り続けたいと漁師たちは思っている。
エマドさんは、小ぶりな日干しレンガの家に住んでいる典型的なエジプトの村人だ。日中は公務員として働いているが、夕方になると漁に情熱を傾ける。小さな木製の舟を出し、網を投げ、魚がかかるのを待つ。いつもは親せきや友人を誘うのだが、今日は私を漁に誘ってくれた。
舟は静かな水面を滑るように動く。まるで湖を呼び覚ますかのように、両脇でさざ波が立つ。他の舟も私たちに加わった。漁師は湖に網を投げると、「マドラ」と呼ばれる釣りざおで水面をたたき、魚を網に追いやる。
1時間ぐらいで網を引き揚げた。逃げようとする魚もいた。その姿はまるで、その懐にもう一度抱いてほしいと、湖に頼んでいるようだった。
別の舟が何か手伝ってほしいと言ってくると、他の舟はそれに応じる。水の上での時間は、笑いと思いやりにあふれていた。エマドさんの家に戻ると、炭でお茶を沸かしてくれた。私は帰ろうとしたが、漁師たちは取った魚の味見をするまで帰してくれそうもなかった。
魚を炭で焼き、パンと一緒に食べた。トマト、キュウリ、パプリカ、タマネギが入った「バラディ」と呼ばれるミックスサラダも出された。
みんなが一緒になって食事の準備をし、笑いとテレビから流れてくるお祈りが家を満たした。
みんなで床に座って食べていると、漁師たちは自分たちの日々の生活や責任、子育てについて話し始めた。
一緒になって座っていると、漁師たちは網を投げることで、日々の生活のストレスを湖に流し、深呼吸をして、また新たな一日を始めるのだと感じた。
「海は魚の生命の源だ。人間にとっても生命の源だ」と漁師の1人が私に言った。
「漁師は自然の子どもで、海は私たちの父や母のようなものだ」
このコラムはエジプトのカイロを拠点に活動するフォトグラファー、モハメド・シャヘド(Mohamed el-Shahed)氏が執筆し、2018年6月29日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。