【8月13日 AFP】英在住のノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)受賞作家で、85歳で死去したV・S・ナイポール(V. S. Naipaul)氏に対して12日、哀悼の声が続々と寄せられ、ナイポール氏の論敵だった人々も弔意を表した。

 同氏はインド系で、正式な名前をビディアダハル・スラヤプラサド・ナイポール(Vidiadhar Surajprasad Naipaul)という。

 インドのナレンドラ・モディ(Narendra Modi)首相は、ナイポール氏の死について「文学界における大きな損失」と述べた。

 またナイポール氏と論争を繰り広げた多くの作家のうちの一人、サルマン・ラシュディ(Salman Rushdie)氏も同氏の死を惜しみ、「政治について、文学について、生涯意見を異にしてきたが、愛する兄を失ったかのように悲しい。ビディアよ、安らかに眠れ」とツイッター(Twitter)に投稿した。

 1世紀以上前、インド北部からカリブ海に位置する西インド諸島のトリニダード・トバゴに契約移民として渡った家庭に生まれたナイポール氏は、奨学金を得て英国のオックスフォード大学(Oxford University)で学び、その後イングランド(England)地方に生涯とどまったものの、多くの時間を旅に費やした。

 また、世界各地のコロニアリズムの影響を作品の焦点に据え、フィクションに現実や自伝的要素を織り交ぜた。代表作に、父親の経験をない交ぜた「ビスワス氏の家(A House for Mr Biswas)」や、英国の主要文学賞であるブッカー賞を受賞した「自由の国にて(In a Free State)」がある。

 同世代の中で最も優れた作家の一人と目される一方、とげとげしい性格だったナイポール氏は、同輩の多くを、そしてあらゆる女性作家を「感傷的」と評して一蹴し、自分にライバルはいないと宣言したこともあった。

 晩年には、特に宗教観が原因で反発を招くことが増えた。2004年には、ヒンズー教徒の過激派による1992年のモスク(イスラム礼拝所)破壊を支持して、インドで論争を巻き起こした。

 その数年前には、イスラム教は「他文化を隷属させ、撲滅しようと試みたことにより、改宗者らに痛ましい影響」を与えたと発言して、広く非難を浴びた。

 ナイポール氏がインドにおけるヒンズー至上主義を擁護したことを批判していた、作家で歴史学者のウィリアム・ダリンプル(William Dalrymple)氏も、ナイポール氏を「偉人」と呼び、「同氏の著述の多くのこと、特にインドに関して意見を異にしたとしても、レーザーのように鋭い優れた洞察から刺激や影響、触発を受けずにはいられない」とツイッターに投稿した。(c)AFP