【6月23日 AFP】サッカーベルギー代表のFWロメルー・ルカク(Romelu Lukaku)は、母親が水で牛乳を薄めているのを見たとき、自分の家庭がどれだけ貧しいのかを認識した。彼がW杯ロシア大会(2018 World Cup)の舞台で見せるその才能は、家族が貧困を抜け出すためのパスポートとなった。

 イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)に所属するルカクは、ベルギー・アントワープでの成長の過程、そして批判を無視するための解決策を明かし、今はロシアの地を楽しんでいる。

 ルカクはウェブサイト、ザ・プレイヤーズ・トリビューン(The Players' Tribune)で、成功するという決意はサッカー界最大の祭典から遠くかけ離れた、ベルギー2番目の都市のほこりだらけの郊外で築かれたと明かした。

 コンゴ民主共和国人の移民の子であるルカクは、小さいころによく食べ物が不足していたこと、そしてアパートの電気料金を支払うお金がなかったため、暗闇の中で祈ることもあったと振り返った。

「一週間を暮らしていくだけの余裕がなく、お金が全くなかったんだ。単に貧しかったのではなく、一文無しだった」

「私の父親はプロのサッカー選手だったが、キャリアの晩年のころにはお金は尽きた」

 現在25歳のルカクは、6歳の時に母親が牛乳の量を増やすために水を注ぎ足しているのを見て、どれほど自分の家庭が悲惨な状況にあるのかを知ったという。

 そして、プロサッカー選手としてのキャリアが貧困から抜け出す方法だと決心したのはそのときだった。

 またルカクは子どものころ、対戦相手の親に出身地を尋ねられ、プレーする資格を持っているのか質問されるなど、偏見の目で見られていたことを明かした。

「『何だって?自分はアントワープで生まれ、ベルギーの出身だ』と思ったよ」と話している。

 さらにルカクは「アパートにはネズミが走り回っていて、欧州チャンピオンズリーグ(UEFA Champions League)も見ることもできず、他人の親からの視線もあって、大きな怒りの気持ちを持ってプレーしていた」と続けた。

「必死だった。12歳のときには34試合で76点を決めたよ」

 ルカクは16歳の時にベルギー1部リーグのRSCアンデルレヒト(RSC Anderlecht)と契約を結び、それから11日後に代表デビューを飾った。W杯に臨むベルギー代表の初戦となったパナマ戦では、2得点を挙げる見事なスタートを切っている。(c)AFP