【AFP記者コラム】時間をかけた取材
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【6月5日 AFP】人の秘密を知りたければ、それには時間がかかる。ただどこかを訪れ、何日間かスナップ写真を取るだけで人が心を開いてくれることを期待してはいけない。しかも相手が、エルサレムの旧市街(Old City)で800年にもわたって「キリストの墓(Tomb of Christ)」を守り続けている人々であればなおさらだ。彼らはこの「聖都(Holy City)」に最も古くから存在しているキリスト教徒の集団だ。
通信社の写真記者は通常、一つの取材に多くの時間をかけるぜいたくができない。現場へ行って、取材すべきものを取材したら次へ動く、というのが普通だ。特にエルサレム支局のように忙しいところではそうだ。私はAFPで30年間働いているが、一つのストーリーに何週間もかけたのはこれが初めてだった。
今回の取材を着想したのは昨年の10月、エルサレムの旧市街の道を歩いていたときだった。ここ4年ほど、私はイスラエルとパレスチナ自治区を担当するチームのチーフフォトグラファーを務めていて、時間があるときは決まって旧市街に行っている。あの曲がりくねった道はいつでも絵になる。
その日、私はビア・ドロローサ(Via Dolorosa、苦難の道)で見かけた数十人の団体のスナップ写真を撮っていた。全員が同じ「800年」と書かれたTシャツを着ていて、興味をそそられた私はそれは何なのかと彼らに聞いた。すると、それはカトリック教会の中の修道会の一つであるフランシスコ会(Franciscan Order)が、この聖都へ最初にやって来てから800年となることを記念するものだ、との答えだった。
カトリックの修道会、フランシスコ会は今ではキリストの墓を守る三つの教会のうちの一つだ。キリスト教徒たちは、イエスがここに葬られてから3日目に復活したと信じている。聖墳墓教会(Church of the Holy Sepulchre)にある小さな岩穴がその墓だと信じているのだ。
興味をひかれた私はこのフランシスコ会の修道士たちに近づき、掘り下げた特集記事の取材を申し込んだ。最初、彼らはためらっていた。彼らは人目につくことを良しとせず、多くの人が普段目にしている彼らの姿よりも踏み込んで日常の暮らしの場面を記録したいと私が言うと、返事をくれなかった。けれど、あるパーティーの席で、フランスの雑誌フィガロ・マガジン(Le Figaro Magazine)で働く友人のシリル・ルイ(Cyrille Louis)が、同じアイデアを持っていることを知った。私たちは力を合わせることにし、何度か丁寧に説得を重ねた結果、修道士たちは最終的に同意してくれた。
私は2か月半をかけ、忙しいスケジュールの中で時間の許す限り、彼らを撮影した。こういった取材をするとき、つまり取材対象の表面だけではなく本音に迫ろうとするときには、信頼がカギになる。相手の信頼を勝ち取らなければならない。私は何度も足を運び、その間、カメラは持って行っても撮影はしなかった。修道士たちが何度も何度も私を目にし、時が経ち私の姿を見慣れたころにようやく、私は彼らしか目にできないものを垣間見た。
そうして素晴らしい素材を得て、フランシスコ会修道士たちの深みのあるポートレートを届けることができたと思う。
エルサレムでの彼らは二手に分かれている。まず聖墳墓教会に住んでいる15人の修道士たち。彼らが墓の世話をし、行列で進みながら唱える祈りを率いる。この教会を訪れる観光客の大半が目にするのは彼らだ。
だが、聖墳墓教会を訪問する人々はフランシスコ会修道士たちに割り当てられた生活空間の区画は目にしない。寝泊まりする部屋、キッチン、会議室、そして聖具の保管室がある。修道士たちの主な仕事は礼拝、行進、そして礼拝者たちを歓迎することだ。そしてもちろんギリシャ正教、アルメニア使徒教会の修道士たちと交替で墓の世話をする。
信頼を得るために費やした時間は、例えばここでも報われた。聖墳墓教会を訪問した人々なら知っているように、墓を見るために普通は1時間以上列に並ぶが、墓の中で過ごす時間は1分にも満たない。私は清掃をしている間に1時間半、中にいることができた。これは滅多にないことだ。
フランシスコ会の修道士は教会にいる者の別にさらに約80人が、教会から200メートルほど離れた修道院に住んでいる。彼らもまた礼拝をするが、その他にもさまざまな社会活動を行っている。この修道院はここ聖地におけるフランシスコ会の本部だ。フランシスコ会が存在する他のさまざまな聖地、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸のベツレヘム(Bethlehem)やイスラエル北部の都市ナザレ(Nazareth)、さらにはレバノン、シリア、イラク、キプロス、ギリシャ領ロードス島などの聖地を管理している。またパレスチナ全体で雇用している約1200人の監督も行なっている。
この修道院は巨大だ。この街のすべてがそうであるようにとても古く、たくさんのフロアがあり、たくさんの活動が行われている。庭で薬草を栽培する修道士(私が訪ねていたのは冬だったので、残念ながらこの撮影はできなかった)、製パン所でパンを焼く修道士、キブツ(イスラエルの農業共同体)から買った豚をスモークする修道士、彼らが来ている茶色のローブを作る修道士。修道院の中はおおむね小さな町といえる。
書庫を預かる修道士たちもいる。貴重な文書が保管されているこの書庫は、修道院の中で最も重要で強固に守られた場所だ。13世紀にまでさかのぼる文書もあり、その中にはフランシスコ会がエルサレムに残るために当時エルサレムを支配していたマムルーク朝と交わした合意書も含まれている。また13世紀、聖墳墓教会の騎士修道会に授けられた剣もある。
修道士たちはとにかく忙しくしている。修道会は旧市街に400戸のアパートを所有しており、その改修や維持も修道士たちが担っている。これらのアパートは旧市街に住むキリスト教徒を絶やさないためのものなので、住民は基本的に市民税を払うだけで家賃は無料で借りている。
これだけ多くの時間を彼らと一緒に過ごしたことで、私はこれまでジャーナリストが誰も見たことのないものに触れ、素晴らしいショットを撮影することができた。
例えば、旧市街のテラ・サンクタ(Terra Sancta)学校の生徒たちとスポーツをする修道士たちのショット。
あるいは引退し、イエスの墓の近くで死ねるよう、修道院の最も奥まったフロアにある療養所で人生最後の時を過ごしている修道士たち。
あるいは老いて体が衰え、聖体を受けるために聖墳墓教会に行くことができない旧市街の住民のもとを訪れる修道士たち。
日常生活の中にはまた、自然で無防備な瞬間もある。昼食や夕食の後、ほとんどの修道士たちは大きなラウンジへ行き、コーヒーを飲んだりトランプで遊んだり、会話を楽しんだりする。とても良い雰囲気で、普通は目にできない彼らの一面だろう。
あるいは食事直前の祈りの時間。私より前にこの時の写真を撮ることができた者はいない。
今回の取材は私の大好きな仕事の一つとなった。最終的には驚くような撮影ができた。修道士たち以外に誰が、聖墳墓教会の中で1時間半も過ごしたことがあるだろう?フランシスコ会修道士たちが学校で子どもとバスケットボールをする姿や、ランチの後にリラックスする姿を見たことのある者はいるだろうか?そうした写真を撮影するためには時間が必要だ。たくさんの時間が。
このコラムはAFPイスラエル/パレスチナ自治区担当チーフフォトグラファー、トーマス・コエックス(Thomas Coex)がAFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2018年5月11日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。