【AFP記者コラム】コレラの時代の戦争
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【3月20日 AFP】毎日私は家を出る時、家族の顔を見るのはこれが最後かのような思いで別れを告げる。そうなることは十分あり得るからだ。
私はイエメンの首都、サヌアに住んでいる。砂漠と山と部族の国・イエメンは、内戦と飢餓、疫病にさいなまれ、国連(UN)からは世界最悪の人道危機の舞台だと宣告された。それはここ数年、地域や地元の集団同士が目まぐるしく繰り広げている戦乱のせいだ。そして我々ここに住む人間は、その渦中に捕われている。
イエメンは長年問題を抱えてきたが、現在のような地獄に陥ったのは2014年からだと思う。反政府武装勢力フーシ派(Huthi)が、私が住むサヌアを含む国土の大半に勢力を広げた年だ。
フーシ派はイスラム教シーア(Shiite)派の勢力で、バックにはスンニ派であるサウジアラビアの大敵イランが付いている。そのため1年後にはサウジアラビアが連合軍を結集し、フーシ派を追放しようと空爆作戦を開始した。連合軍はまたイエメンの空港や港も封鎖したため、元々世界の最貧国の一角だったこの国に、援助団体が支援物資を持ち込めなくなってしまった。
このようにイエメンでは、影響力をめぐって争う湾岸地域の2大大国が加わっている上に、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)系のグループが国内に拠点キャンプを設け、混乱に拍車がかかっている。さらに数週間前には南部分離派が、フーシ派によってサヌアから駆逐されて以降拠点としてきた現在の事実上の首都アデン(Aden)で、イエメン政府の庁舎を占拠する事態まで起きた。
■死の覚悟
一般庶民にとって、こうした状況下で生きるとはどのようなことか?──私は朝、出かけるたびに死を覚悟する。夜9時以降は危険すぎて家から外へ出られない。
近所で火事が起きて子どもたちが泣き叫べば、親は空爆が来ると思い、子どもをつかんで1階でも2階でも、とにかくビルの階下へ駆け降りる。
サヌアでの政府とフーシ派の戦闘、あるいはアデンでの政府と分離派の衝突が起きれば市民は巻き込まれ、水も電気も、食料を手に入れる方法もないまま取り残される。病院にも行くことはできない。ひたすら外に出ることを恐れ、自分たちがいる建物の中で縮こまっている。外へ出れば、誰が誰の敵で味方か分からないからだ。
あるいは外へ行けば、どこで死に遭遇するか分からない。どこにいたって空爆がある。葬儀場だって爆撃される。2016年10月に爆撃された葬儀場では140人が死亡し、500人が負傷した。サウジ主導の連合軍による空爆開始以降、この国では9000人以上が死んだ。
状況は十分悲惨なのに、さらに人道問題がある。サウジ連合軍が空港と港の封鎖を実施したのは2015年。以降、イエメン国内に入って来る援助物資の流れは鈍い。そのために栄養失調が起こる。イエメン各地に飢えた人々がいる。
そこに現われたのが、コレラだ。現時点までにイエメン国内で100万人以上がコレラに感染し、約2200人が死亡した。過去10年間で世界最大規模の疫病流行だ。
コレラが流行したのは経済状況が切羽詰まっているせいでもあり、また多くの人が十分な教育を受けていないためでもある。
知り合いの家族では、1人の子がコレラにかかってもそれがコレラだと分からず、病院に連れて行かずに死なせてしまった。
自分の子どもたちがかかったのがコレラだとは分かっても、ただ手段がなく、病院に連れて行けない人々もいる。
私は自分の家族には常にコレラの兆候を見逃さないようにと注意している。
イエメン内戦は遅かれ早かれいつかは終わるだろう。これが永遠に続くと思っている人々もいるが、始まりのあるものには必ず終わりがある。私が思っているのはただ、この戦乱が終わるまでにあとどれだけの人々が苦しみ、死なねばならないのかということだ。
このコラムはイエメン・サヌアを拠点とするジャーナリスト、ジャマル・ノーマン(Jamal Noman)氏が、アラブ首長国連邦ドバイ支局のモハマド・アリ・ハリシ(Mohamad Ali Harissi)記者、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2018年3月6日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。