時計職人や消防士も… 日常に戻る平昌のオリンピアンたち
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【2月26日 AFP】25日の閉会式で幕を閉じた平昌冬季五輪。2週間にわたって熱戦を繰り広げた出場選手たちも、大会が終われば普段の仕事に復帰し、慌ただしい日常に戻っていく。
冬季競技では、リンゼイ・ボン(Lindsey Vonn、米国)のようなスター選手1人に対して、その10倍以上の数のドミニク・メルキ(Dominik Maerki)のような選手がいる。メルキは銅メダルを獲得したスイスの男子カーリング選手だが、彼らは大会が終われば日々の仕事へ戻り、料金の支払いや顧客満足度の維持、生活費の獲得のために働く。
平昌五輪に世界中から参加した選手の人数は、合計で約3000人と発表されている。仮に全員が別の仕事についていたとすれば、ほぼありとあらゆる職業を網羅できそうだ。
それでも今大会に出場した時計職人は、メルキだけかもしれない。大会では控え選手としてスイスチームを支え、カナダを破っての銅メダルに貢献したメルキは、4年をかけて時計製作を学んだ後、仕事で米マイアミへ移住し、やがて南部のアーカンソー州で腕時計や置き時計を修理する店を開いた。
「米国人の女の子と付き合うようになって、その子と結婚し、最終的にそこへ行き着きました。自分の修理店を開いて、腕時計とかもう少し複雑な機械を直したり、振り子時計や壁掛け時計、キッチンタイマーなんかの修理も請け負ったりしています」
店を訪れる客は、店主が五輪選手として、それどころか五輪のメダリストとして、氷の上で体を折り曲げて頑張っていることを知っているのだろうか。そのことを尋ねると、メルキは笑顔で「今回の五輪で、知った人も中にはいるでしょうね」と答えた。
メルキいわく、カーリングと時計の精密な機構には相通じるものがある。「間違いないのは目です。時計職人は目が良くなくては務まらないし、それにぶれない手も必要になる。カーリングでストーンをリリースするのに、それが役立つ部分がある」のだそうだ。