【AFP記者コラム】新しい人生へ向かうトレイル
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【2月9日 AFP】アルプス(Alps)の雪深いトレイルをたどってフランスへ至る移民たちの写真を撮っていたときに、私は連帯や人情といったものをたくさん目にした。同時に多くの失望も目にした。
何か月か前から話は聞いていた。どうにかしてイタリアへたどり着いたアフリカからの移民で、ここで新しい生活をスタートさせることができなかった人たちはフランスへ行こうと決心する。彼らの多くはフランスの旧植民地の出身でフランス語を話せるし、親戚がすでにフランスにいる人も多い。列車やバスを使うと警察に捕まり、イタリアへ送り返されてしまうので、彼らは遠回りのルートを使おうとする。アルプス越えだ。
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このルートは12月までは実に楽だ。明確に示されたトレイルにただ従って山中を歩き、フランス領に入ったら、とにかく憲兵に会わないようにすればいい。しかし冬が始まり雪が積もるとずっと危険が増す。私はそれを追ってみることした。
イタリア側の出発点はバルドネッキア(Bardonecchia)。イタリアの典型的なスキーリゾートの村だ。私はトリノ(Turin)から列車に乗ってここへ着いた。途中で移民に出会うことを期待していたが、会わずじまいだった。村に着いてからさらに探したが、ついていなかったのか、やはり会わなかった。
だが、夜になって移民の一行が到着した。10~20人の小グループで、駅で一夜を過ごし、夜が明けると出発した。
移民がやって来るようになってからだいぶたっており、ある団体が駅で支援を始めていた。そこには医師やアルプスの捜索救助隊の隊員たちが詰めていた。また食料や法的アドバイス、それからこの時期最も大事な山越え用の装備も提供していた。あれこれ色々な物品を寄付するために一般の人が立ち寄っているのも見た。
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■見事な対比
彼らは通常、朝出発し、徒歩でバルドネッキアの村を通ってアルプスへ向かう。ゴアテックス(Goretex)製のウエアを着こんだスキーヤーの横を、ジーンズにスニーカー姿の若者たちが歩いていく様子は、少々奇妙な対照だった。
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フランスへ行くためには、まず6キロほど山を登り、そこで分岐点にたどり着く。フランス領への最短ルートはエシェル峠(Col de L’Echelle)越えだが、この時期は完全に雪に埋もれている。そこで彼らは別ルートで、スキーか雪靴でトレッキングできるトレイルを選ぶが、こちらはずっと長い。
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私がついて行ったグループは二つとも、その先へ行けなかった。最初のグループは分岐点のところで引き返してきた。2番目のグループはもっと長い、モンタボー(Mont Thabor)へと続くスキー、トレッキング向けのトレイルを行った。だが、トレイルが雪崩に埋もれて寸断されていて、そこから引き返してきた。
彼らが歩いているのを見ていると、非常に悲痛な思いがした。このコンディションに適した装備でないのは明白だった。
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彼らはどうすればいいのか分かっていなかった。
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片方のグループはグルノーブル(Grenoble)から来たという、とても親切なトレッカーの一行と出会った。一行は移民たちに食料や飲料を分け、ルートは非常に危険だと注意した。だが、より良い人生を求めて進む人々を説得するのは難しかった。
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私が撮影した男性の一人は手袋をしていなかった。村に引き返してきたとき、彼の手は第2度の凍傷にかかっていた。
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私が思うに、この時期、移民たちの大半はアルプスを越えられない。そこには大きな失望があった。
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彼らはそこまでも、とにかく長旅をしてきている。祖国を離れ、リビアへ行き、そこで実につらい状況を体験し、それから水死する危険さえも冒して地中海を越えて、そうやってイタリアへ着いたのだ。私が会った移民たちは大抵、イタリアで何とかやっていこうとしたのだが、職が見つからずにフランスへ行こうと決心したのだった。それがかなわなかったときの彼らの深い失望は一目瞭然だった。多くの人たちはまた試み続けるだろう。彼らは次にチャレンジするときにはきっとうまくいく、フランスの警察にもきっと捕まらずに済む、と夢見ながら一日一日を暮らしている。
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■出会い、見失う
一つ後悔するのは、撮影した移民たちとちゃんと触れ合わなかったことだ。時間が短すぎた。彼らは夜到着し、翌朝には歩き出す。彼らはとても感じが良かったし、私はフランス語を話すので彼らとも話せたが、いかんせん関係を築くのに十分な時間はなかった。おまけに彼らはまだ目的地に到達していないので怖がってもいた。
彼らの多くはフランスに親戚がいた。親を祖国に残してきていて(コートジボワールやマリ、ブルキナファソなど)、きょうだいは欧州中に散らばっているという例が多かった。ある男性は女きょうだいが1人スペインにいて、男きょうだいが1人フランスにいた。移民たちは元々フランス語を話せるので、自分たちにとって他の国よりもフランスがいいだろうと考えていた。
1人の男性とは仲良くなった。彼がたまたま私も好きなラッパー「21サヴェージ(21 Savage)」を聞いていたので、私たちは話し始めた。最初、彼は写真を撮られることを嫌がったが、後で承諾してくれた。彼は1番目のグループにいた。しかし私は2番目のグループの手助けに行ったので、彼の行方はたちまち分からなくなってしまった。これは今回の取材で常に後悔があった部分だ。移民たちとはあっという間に出会うが、彼らはあっという間にいなくなってしまう。私にとってフォトジャーナリズムの魅力の一つは、被写体と自分が築く関係性だ。だが、今回は、そういった関係性はあまり築けなかった。
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■ 「永遠にこれを続けることはできない」
取材でここにいた間、地元の人々の反発は全く目にしなかった。やって来る移民が、ごく少数だからかもしれない。移民はここにいる時間の大半を駅で過ごしているため、接触がほとんどないからかもしれない。けれど、人の思いやりや情はたくさん目にした。
知り合った男性の一人は、トレイルからそう離れていない山中に山小屋を持っていた。ここにはスキーヤーやハイカーがいくらか払って泊まっていた。時々夜に、警察から逃れて移民たちがこの山小屋まで登ってくるのだった。「真夜中に叫び声が聞こえたかと思うと、標高1800メートルのこの山の中に彼らが立っている。外は氷点下10度だ。雪の中で死なせてしまうわけにはいかないだろう?だから、もちろん中へ入れる」と男性は語った。「けれど正直なところ、私にとっては商売にならないし、永遠にこれを続けることはできないね」
このコラムは伊ミラノを拠点とするフォトグラファー、ピエロ・クルチアッティ(Piero Cruciatti)が、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2018年1月19日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。
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