【1月31日 AFP】昼間はベトナム・フエ(Hue)の街頭で円すい形の葉がさを売っていた10代女性のグエン・ティ・ホアさんだが、彼女の夜間の任務は、北ベトナム軍の情報員たちに秘密の情報を伝えることだった──。当時、北側が準備を進めていた大規模な攻撃は、後にベトナム戦争最大の転機となる「テト攻勢(Tet Offensive)」だ。

 グエンさんはフォン川(Perfume River)分隊の一員だった。1967年に極秘に結成されたこの女性だけの小さな戦闘分隊は「家に敵が来たら、女であっても戦え」という共産主義スローガンを掲げていた。所属していた多くはまだ10代の女性だったが、敵地深くに送り込まれていた11人は、1968年のテト攻勢で重要な役割を果たした。分隊は、フエを流れる川の名にちなんで付けられた。

 ホーチミン市では31日、テト攻勢50周年を記念する公式記念行事が行われる。軍事的にみれば、この攻撃は北の部隊にとっては失敗だった。だがこの大攻勢は、反共主義の戦いから米国世論を引き離すきっかけとなり、最終的には米国の撤退を導くものとなった。

 当時、「外からの侵入者」に対抗する北ベトナム軍にとって女性は不可欠な存在であり、その多くはスパイやガイド、料理担当やメッセンジャー、さらには負傷者を手当てする看護役など、主に非戦闘的な役割を担っていた。女性らはその大義への確信に突き動かされていたという。

  戦後に移り住んだフエでAFPの取材に応じたグエンさん(69)は、「私は自分自身を、自分の祖国を、そして他の女性を解放したかった。革命に参加する以外の道はなかった」と話す。

 1968年1月31日早朝、南ベトナム全土に対する急襲が始まった。中でも、当時第3の都市だったフエは特に重要視されていた。この一連の奇襲攻撃では、8万人以上の北ベトナム軍兵士とベトコン(Viet Cong)戦闘員が動員された。攻撃はサイゴン(Saigon)にも及び、双方で大量の死傷者が出た。特に北は推定5万8000人を失った。