【1月26日 AFP】米出身の山岳ジャーナリストで、半世紀にわたってヒマラヤ(Himalaya)山脈を舞台に繰り広げられた栄光や悲劇の数々を記録し続け、「ヒマラヤの生き字引」や「登山界のシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」などと呼ばれたエリザベス・アン・ホーリー (Elizabeth Hawley)さんが26日、死去した。94歳。

 1959年にジャーナリストとしてネパールへ移り住んだホーリーさん。以後ヒマラヤ登山の最高権威の一人という名声を動かぬものにし、最期も同地で迎えた。かつてエベレスト登頂を世界で初めて達成したニュージーランドの登山家、故エドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)卿は、ホーリーさんを「登山界のシャーロック・ホームズ」と呼んだ。

 ホーリーさんの晩年の主治医だったプラティバ・パンデ(Prativa Pandey)医師がAFPに語ったところによると、ホーリーさんはネパールの首都カトマンズにある病院で、26日未明に息を引き取った。1週間前に肺感染症にかかり、後に脳卒中に見舞われたとみられるという。同医師は、ホーリーさんは「とても安らかに永眠した」と述べた。

 ホーリーさんは「ヒマラヤン・データベース(Himalayan Database)」を立ち上げ、ネパールにおける登山遠征を綿密に記録。5年前まで自分で管理していた。

 ホーリーさんは、新記録樹立を主張する登山家らから真実を引き出すことでも知られ、ヒマラヤ山脈で登頂に成功したかどうかはホーリーさんの意見がそのまま最終的な記録とみなされた。

 ただホーリーさん自身には登頂経験はなく、登山シーズンがやってくると愛車のスカイブルーの1965年製フォルクスワーゲン・ビートル(Volkswagen Beetle)に乗ってカトマンズ周辺を走り回り、登頂前と後の登山家らを取材した。

 ホーリーさんは2014年のAFPのインタビューで、「私はかなり強引な性格だと思う。私は言いたいことをはっきり言う、私の質問をかわすことができると思っている人がいるならば、考えを改めないとね」と語っていた。

 同年にはネパール政府が、ホーリーさんの功績をたたえ、同国北西部にある標高6182メートルの山を「ホーリー峰(Peak Hawley)」と命名した。

 2007年まで自身が書き続けた月報をまとめたという著書「ネパールシーン(Nepal Scene)でホーリーさんはこうつづっている。「私が引退するのは死ぬ時。(その2つは自分にとって)同じことかもしれない」。 (c)AFP