【AFP記者コラム】無力な人々
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【1月16日 AFP】フォトジャーナリズムという仕事を通じてできる重要なことの一つは、人権問題について報じることだ。私を突き動かす大きな動機の一つである。出稼ぎ労働者たちが住む北京周辺の集落についてこの数か月間、取材を続けてきたのもそれが理由だと思う。
中国の首都・北京の郊外には、地方出身の出稼ぎ労働者たちが住み着いてできた小さな町が次々と出現している。無秩序に広がる都市の中で彼らは最も単純な種類の労働を請け負っており、多くは飲食や清掃、運送といった現場の作業員だ。北京で最も貧しい住民と言えるが、同時に私の経験から言って最も人懐こい人たちだ。だが、政府はこの数か月間、こうした集落を取り壊し、住民たちを地元に帰らせようとしている。
最初にこの話を聞きつけたのは1年近く前で、北京の黒橋(Black Bridge)地区を撮影しているときだった。ここは市中心部に非常に近く、高速鉄道の線路に完全に囲まれている。いわば「島」だ。私は好奇心からそこを訪れたのだが、温かさや親しみやすさ(北京に住んでいるとそういうものは新鮮だ)、人間の生とエネルギーがあふれた美しさに引かれて通うようになった。
その後、私は出稼ぎ労働者の町を撮影し始めた。特に、后廠(Houchang)地区は市街からさらに離れていて、他の集落よりも小さかった。私はそこへ夏の間中、通った。ニュースから逃げ出せる隙を見つけては面白い瞬間、いい写真を求めて通った。しばらくすると、そのうち何か起きそうだといううわさが広まり始めた。ここは取り壊されるかもしれない、と誰もが言っていた。本文を担当するジョアンナ・チウ(Joanna Chiu)記者と私は粘り強く待っていた。立ち退きの瞬間を記事にできれば理想的だが、いつそれが起こるかは分からない。当局はいつでも気が向いたときにやって来る。
ある日、私たちが集落に行ってみると、ほとんど誰もいなくなっていた。私が撮影した一帯の大半は封鎖され、建物の入り口は開けられないように固定され、鉄条網が巻かれていた。扉が一つ開いていて私たちは中へ入ってみた。この集落の中でも特に活気にあふれ、たくさんの写真を撮影した一角だった。そこが、ゴーストタウンと化していた。撮影を始めると、前に撮った場所がいくつも思い出された。
その場ですぐに思った。ここは、ものすごく強い写真になるだろう。当局の印が入ったテープが貼られ、封鎖された無数の家々には、ついこの間まで人がいたのだ。私はオフィスへ帰ると、それまでに撮っていた写真をプリントした。そうする必要があった。記憶に頼って撮るだけでは、前と同じアングルにならないからだ。こうしてプリントした写真を私は文字通り手に持ち、最初の写真にできるだけ近いアングルで撮影した。
かなり良い写真になったと思う。集落の中でもこの部分がまだ解体されていなかったのは幸運だった。そこにただ破壊を見ようとしたのではなく、もっと興味深いことに気付いた。人々は立ち去ってしまったかもしれないが、こうして立ち退きの前と後の写真を組み合わせると、この集落のいわば生と死が見える。
ある一角には5本の路地があり、両側にそれぞれ20の部屋があった。つまり以前は100を超える世帯が住んでいた。そこではわずかに残った数人が、帰郷する前に受け取るはずの給料が出るのを待っていた。運送作業員のリン・フイキンさんは幸運なことに、同じ集落の道を隔てた家にいとこが住んでいて、そこへ転がり込んだと話した。
こういう集落が北京市内の至る所に無数にある。そこに住む人々は極めて貧しいが、首都の基準で見ればわずかでしかない彼らの稼ぎは、故郷にいて稼げる額に比べれば大金だ。
私たちが話した人々は、そうした自分たちの運命をあきらめているように見えた。自分の力でできることがあまりないからだろう。選択の余地はないのだ。ある女性はまさに「私に何ができるの?」と言った。
それも私がこの話を記事にしたかった理由だと思う。この人たちは完全に無力なのだ。立ち退かなければならないなら、立ち退くしかない。それについて彼らにできることはほとんどないし、何かしようとしても、かえって問題を増やすだけだろう。
彼らの話はまだ進行中だ。だから、私たちはこれからも集落に通い続けるつもりだ。
このコラムは中国・北京を拠点に活動するカメラマン、ニコラ・アスフーリ(Nicolas Asfouri)がAFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2017年12月26日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。