【12月15日 AFP】ルーマニアのミハイ(Michael)元国王が今月5日に死去したことを受けて、ひつぎが安置されている首都ブカレストの旧王宮には最後の別れを告げようという大勢の国民が押し寄せている。

 第2次世界大戦(World War II)当時の指導者の一人であるミハイ元国王は、白血病との闘いの末に今月5日、スイスで死去した。96歳だった。

 王家の紋章が入った布で覆われたミハイ氏のひつぎは、現在は博物館になっている旧王宮の謁見の間に安置された。最後のお別れをするため、花束やろうそくを手にしたあらゆる年齢層の人々が何時間も行列をつくって待った。ミハイ氏が死去して以来、大勢の国民が旧王宮に追悼に訪れている。

 大きな花束を手にしたアンドレーア・イレアナ(Andreea Ileana)さん(50)は「彼(ミハイ元国王)のつつましさと高潔さ、そして並外れた愛国心は素晴らしいと思います」と語った。

 ドイツのホーエンツォレルン(Hohenzollern)家の血を引くミハイ元国王は、1927~30年と40~47年の2度にわたってルーマニア国王の座についた。2度目の在位時にはイオン・アントネスク(Ion Antonescu)元帥を追放し、ルーマニアをアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)率いるナチス・ドイツ(Nazi)に対抗する連合国側に加えた。

 しかし戦後の共産党政権によってルーマニアの王制に終止符が打たれた。ミハイ元国王は1947年12月、退位させられ、亡命を余儀なくされた。

 市民権を剥奪されたミハイ元国王は、最終的にスイスに居を構え、航空関係の仕事や農業をしながら慎ましく暮らしていた。ようやくルーマニアへの帰国がかなったのは2002年になってからだった。

 元国王のひつぎは13日にスイスからルーマニアに到着していた。16日に国民葬が行われる。(c)AFP