【AFP記者コラム】「数字ではなく名前で」、殺された人々の記憶を刻むプロジェクト
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【12月19日 AFP】米国のシカゴで毎年100人単位で殺されている人々の名前を明らかにする──このプロジェクトは最終的な形になるまでにだいぶ時間がかかった。だが、最初に着想したのは6年前、私が初めて「ウインディー・シティー」(風の街、シカゴの通称)にやって来て、衝撃を受けたときだった。
■まるで天気の話のように
シカゴに到着した私は、報道カメラマンならば誰もがそうするように、銃撃事件と殺人事件を追いかけ始めた。ある日、20人が撃たれたと聞いて編集者に電話し、私に取材してほしいかどうか尋ねた。すると「撃たれたのが20人? それはニュースじゃない。死んだのが20人ならば、別だが」という答えが返ってきた。ものすごく驚いた。地元の人の一部は暴力にあまりに無頓着になっていて、日常の一コマとして受け入れてしまっているようだった。
さらにこれを人に話したところ、「ああ、シカゴではよくあることだ」と言われた。その無関心さが私にはショックだった。彼らはまるで天気の話でもしているかのようだった。
もちろん、私だってここへ来る前から、この街の犯罪と暴力のひどさは知っていた。シカゴの犯罪は、シカゴが生まれたときから続いている。だが、時折目にすることになった無関心さに対しては、心構えができていなかった。
私にとって今回のプロジェクトの中心に横たわっているのは、この無関心さを揺さぶりたい、暴力の犠牲となった人々の名前を取り戻し、彼らの身の上に何が起きたのか、その痕跡を残したいという思いだ。
■全米で最も殺人が多い街
シカゴといえば全米で最も殺人の多い街という悪評が聞こえてくる。現地紙シカゴ・トリビューン(Chicago Tribune)の統計によれば、今年は620人以上が殺害されている。シカゴの人口は270万人だが、米国の二大都市、ニューヨークとロサンゼルスを合わせた殺人事件の犠牲者の倍近い数に上っている。
このプロジェクトについて考え始めたのは、シカゴで今年100人目となる殺人事件のニュースを聞いた日だ。ふと、シカゴでは殺人事件はいつも人についてではなく数について報じられている、と思った。100番目に殺された人、200番目に殺された人、というように。
そこで殺人事件の現場を訪れ始めた。犠牲となった人々について知りたかったからだ。それでどうなるか、最初は見当もつかなかった。殺人事件の現場をあちこち回ったが、プロジェクトの具体的な案はまだ浮かんでいなかった。何かできるのかどうかも分からなかった。ただ可能性を探っていた。
そして訪れた場所の撮影を始めた。実際に殺人が起きた場所を示すものが何もないときには通夜や葬儀を撮影した。「数」に「名前」を与えたいと思ったのだ。すべてデジタル機材で撮影していた。ある日、行方不明になったという報道から数日後に自宅のソファの下で窒息死した状態で見つかった幼い少女の家へ行き、撮影をした。
数か月後、警察がこの事件を殺人事件として扱っていることを知った。だが、私が行ったときにはまだそう断定されていなかった。その時、私はリュックサックの中にインスタントカメラを持っていた。前の日にそれで娘の写真を撮っていたのだ。私は通夜を撮影していた。人々がやって来てキャンドルを置く様子を撮った。さらにバッグの中からインスタントカメラを取り出し、何枚か撮影した。カメラに興味を持った女性が1人近づいてきて、何をしているのかと聞いた。撮ったばかりの写真を渡すと、彼女はインスタントフィルムに像が浮き上がる様子を見つめていた。
彼女を見ていて、ひらめくものがあった。デジタル写真は、いつかはコンピューターかどこかに保存されて終わりだ。だが、インスタントフィルムは殺された人物を記憶する品となる。それは形を持っている。私がやりたかったことはこれだ。最後に撮影したインスタントフィルムに犠牲者の名前を書いたとき、決心がついた。
この記事をどう展開したいか、分かったのもそのときだった。犠牲となった一人一人を1枚のインスタント写真で表し、そこに名前を書く。形のある物として写真にその人物を記憶させる。
続けていくうちに、このプロジェクトの思わぬ効果を一つ発見した。犠牲となった人物を愛していた人々に喜んでもらえたことだ。プロジェクトの間、とてもたくさんの写真を彼らに渡した。それどころか写真を渡すことが、プロジェクトの大きな部分を占めるようになった。写真として目に見える形となった犠牲者の記憶を見つめるプロセスは非常に特別なものだった。
プロジェクトは6か月間続けた。そのために常に事件報道について情報収集し(シカゴのような暴力の多い都市ならば、それ自体が我々の主な仕事だが)、現場を探し、足を運び、通夜や人々が置いていった追悼の品々を探した。いつまで続くのか、自分でも分からなかった。
そしてある日、ジョンソン・リギンズ・ジュニア(Johnson Liggins Jr)君の通夜を撮影した。高校3年生だった彼は10月下旬の午後、放課後のアルバイトへ向かって歩いていたところを路上で撃たれた。通夜の撮影後、自分の車に向かって歩きながら、これがプロジェクトの終わりとなるなと思った。再び自分の中でピンと来るものがあって、そういう気持ちに達した。なぜかは分からない。犠牲者本人が唯一、写っている写真だからかもしれない。あるいは、その時点ですでに100件を超える殺人事件の現場を訪れていたからかもしれない。
シカゴの暴力に関する取材はもちろん続けるつもりだし、非常に興味を引かれてもいる。私が生まれた国、カナダでは全国の年間殺人件数がシカゴ市よりも少ない。人が殺されれば大事件になる場所から私はやって来た。
取材した犠牲者の話のいくつかはいつまでも私の記憶に残るだろう。3歳の少女、イゼベル・アレマン(Jazebel Aleman)ちゃんは、食事をしたがらなかったために実父にベルトで打たれ殺された。私にも娘がいるからだろう、この話にはたたきのめされる思いがした。
64歳の教師、シンシア・トレビリオン(Cynthia Trevillion)さん。私の家から北へ3キロほどの場所で、夫婦でディナーへ行こうと歩いていたところ、走行中の車から銃撃の標的にされた。36歳のエリザベス・ケネディー(Elizabeth Kennedy)さん。交際相手の男性と前の恋人との口論をやめさせようとして、娘の目の前で、前の恋人に刺されて亡くなった。
このプロジェクトは皆さんが知っている典型的なフォトエッセーではない。作品を締めくくるにあたって写真を選んでいると、さまざまなことがよみがえった。通常、こういうプロジェクトでは一番よく撮れた写真を選ぶ。だが、これらの写真を前にすると撮影した場面だけではなく、背後にあるストーリーが思い浮かんだ。だから写真としてはベストな1枚ではないかもしれないが、背後にあるストーリーを思うと外せなかった写真もある。殴られながら死んでいった幼いイゼベルちゃんのように。彼女抜きでこのプロジェクトを完結させることはできなかっただろう。
このプロジェクトは写真と言葉、つまり殺された人に関するストーリーとの両方があって初めて成り立つものだろう。けれど、私が伝えたいメッセージは変わらない。私がやりたかったことは人の痛みに心を寄せながら写真を撮り、こうした悲劇の記憶に形を与えることで、犠牲者を数字ではなく人としてつなげたかったのだ。
彼らは暴力の犠牲となった人の一部だ。それぞれの写真がシカゴ都市圏で起きた殺人を表している。失われた人の命。通夜は過ぎ去っても、写真は残るだろう。
このコラムは米シカゴを拠点に活動するフォトグラファー、ジム・ヤング(Jim Young)がAFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2017年12月5日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。