王さんの弟、王瓚(Wang Zan)さんが、兄が例の「蘭小草」だと知ったのは2年前、春節を家族で過ごした時の雑談がきっかけだった。「『蘭小草』はどこかの社長か起業家だろう」と長兄。すると、2番目の兄の妻が「そんなお金持ちのわけがないでしょう」。しかし瓚さんは引っかかるものがあり、後で2番目の兄の妻に聞いてみると、その夫、つまり2番目の兄の王珏さんが「蘭小草」であるとわかった。

「蘭小草」という名前は、村人から親しまれていた王さんの祖母が、蘭の花の絵を描くことが好きだったことから名付けたそうだ。

 毎年2万元を届けていた若者は、王さんの義弟の侯海国(Hou Haiguo)さんだった。侯さんによると、王さんが亡くなる前、家族が「蘭小草」の正体を世間に知らせようと提案したところ、王さんは「すごく怒って、眉間にしわを寄せて黙り込んでしまった」。本人をそれ以上刺激しないために、家族は二度と「蘭小草」について触れることはなかったという。

 王さんの一人息子で、大学を卒業したばかりの王子震(Wang Zizhen)さんは、島の人々に親切にする父親の背中をずっと見ながら育った。「人要知恩図報(訳:人たるもの恩を受けたらそれに報いなければならない)」という父の言葉は、息子の心の中に受け継がれている。

「33年間という約束だったのに、まだ半分も守りきれずに父は突然この世を去ってしまった」。子震さんは、涙をこらえながら話した。「父は亡くなる前に、母さんを頼むと言った。それから、社会に貢献するようにと言い残しました」

 王さんは亡くなる直前まで、「今年の寄付はもう準備ができているのか」と妻に確認していたという。

「蘭小草」はこの世に存在しなくなってしまったが、温州の人々の心にたくさんの愛情という「種」をまいた。(c)東方新報/AFPBB News