死刑判決を2度言い渡された北の元工作員、分断に翻弄され続けた人生
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【10月1日 AFP】死刑判決を2度言い渡された北朝鮮の元工作員、徐玉烈(Seo Ok-Ryol)受刑者(90)は刑務所の中で30年、その大半を独房で過ごしてきた。死ぬ前に望む唯一の願いは、故郷の北朝鮮に帰ることだ。
現在の韓国で生まれ、その後に北朝鮮の兵士、そして工作員となった徐受刑者の人生は、永続的な分断と、歴史と政治に翻弄されてきた朝鮮半島の人々の生き方を象徴している。
杖をつき、細身で猫背、態度はけんか腰だがいたって明敏だ。「私は何も悪いことはしていない。ただ祖国を愛しただけだ」と話し、自分にとっての祖国とは北と南の両方だと続けた。
2000年に行われた歴史的な南北首脳会談後、韓国は長期囚約60人を北朝鮮に送還した。大半は兵士、特殊部隊兵、工作員だった。だが韓国に忠誠を誓う宣誓書に署名して刑事施設からの釈放を確保し国籍も取得していた徐受刑者は、送還の対象にはならなかった。
韓国南部の島に生まれた徐受刑者は、ソウル(Seoul)のエリート大学である高麗大学(Korea University)在学中に共産主義に傾倒した。朝鮮戦争では北の軍隊に加わったが、米主導の国連軍に押され、北側への撤退を余儀なくされた。
そして北の労働党に入党し、平壌(Pyongyang)で教職に就いていたが、1961年に諜報訓練校への配置が決まった。「妻に別れの挨拶もせずに立ち去らなければならなかった」と当時を振り返った。
徐受刑者はその後、北に亡命した兄弟を持つある上級政府高官を勧誘する任務を負い、川を泳いで国境を越えた。亡命した男性の親兄弟とは無事に会うことができたが、その反応は冷たいものだった。
預かった手紙を渡そうと試みると、「兄弟は…死んだものと思っている。政府当局には戦死したと報告している」とこの政府高官は述べ受け取りを拒否した。
当時も今も、正式な許可なしに北朝鮮側の人物と接触することは固く禁じられており、見つかれば長期の禁錮刑が課される。それでもこの政府高官は告発に踏み切ることはなかったという。
任務は失敗に終わり、徐受刑者はそのままソウルに約1か月間滞在した。その間、暗号を解読するのに必要となる乱数表を見つけられないよう常に神経をとがらせていた。
そしてついに、帰国命令をひそかに伝える乱数放送があった。指定された場所へと向かい同胞との接触を試みたが、時間通りに到着できず、ボートに乗り遅れてしまった。川を泳いで北側へと戻ろうとするも流れが強く、岸辺に戻されてしまう。そうこうしている内に韓国海軍兵士に身柄を拘束されてしまった。
徐受刑者は、敵に身柄を拘束された際には「毒薬カプセルか武器を使って自殺する決まりとなっている」と話したが、その時は「そんな余裕はなかった」と当時の状況を説明した。