【3月30日 AFP】フィリピンを出港後に遭難し、海上を約2か月間漂流した後にパプアニューギニア沖で日本の漁船に救助された漁師のローランド・オモンゴス(Rolando Omongos)さん(21)が29日、空路帰国し、死や絶望との直面しながら飢えや乾きと闘ったサバイバル生活について語った。

 オモンゴスさんは3週間前に救助され、生まれて初めて乗ったという飛行機でマニラ(Manila)の空港に到着。「やっと助けられたときは、泣きやまなかった。弱りすぎて立てなかったので、運び出してもらわなければならなかった」と述べた。

 乗っていたのは、全長2.5メートルの小型ボート。雨水と船体に生えてくるコケを口にして生き延び、熱帯の強い日差しを避けるために頻繁に海中へ潜った。

 別の小型ボートで一緒に遭難したおじのレニエル・オモンゴス(Reniel Omongos)さん(31)は、おそらく飢えと熱射が原因で遭難から1か月後に亡くなったという。オモンゴスさんはおじの遺体を数日間、自分のボートにとどめていたが、腐敗してきたため海に流したという。そのときには「神様、おじをよろしくお願いします。誰かがこのことを家族に伝えるためにも、僕は生きなければならないのです」と祈ったという。

 昨年12月21日に2人が他の巾着網漁船とともに出発したのは、フィリピン南部セレベス海(Celebes Sea)に面したジェネラルサントス(General Santos)。しかし1月10日、嵐のせいで母船とはぐれ、その5日後には燃料が切れた。

 救出された後のオモンゴスさんはジェネラルサントスから3200キロ以上北西に離れたパプアニューギニアのニューブリテン(New Britain)島に送り届けられた。

 おじがまだ生きているうちに2人は、ボートが大波によって沈むことがないよう、浮力を高めるためにエンジンを海中に捨てたという。「毎日少なくとも4隻もの船が近くを通って行った。僕は手を振ったけれど、どの船もまったく止まらなかった」。3~5キロ離れたところから小型ボートは見えなかったのだろうという。だが「希望は捨てなかった。ずっと祈っていた。少なくともどちらか1人は家に帰らなければならないと自分に言い聞かせ続けた」と語った。

 「Wakaba Maru」という日本の漁船に発見されたときには、オモンゴスさんは何日間かに1回コケを食べるだけの状態で非常に衰弱し、61キロあった体重は20キロ台まで落ちてやせ細っていた。

 オモンゴスさんは小学校6年で卒業した後はずっと漁をやってきたが、30日にジェネラルサントスに帰郷した後、二度と船には乗らないと誓い「たぶん学校に戻るつもりだ」と語った。(c)AFP/Cecil MORELLA