【3月23日 AFP】初めての国に赴任する素晴らしさの一つは、その地の伝統に触れられることだ。そして時には、地元の人々にとって普通のことでも、外から来た者にとっては少し風変わりに見えるものもある。日本の裸祭りはその一例だろう。

 この祭りについては、昨年9月にチーフフォトグラファーとして東京支局に着任したときから耳にしていた。岡山の西大寺(Saidaiji)で行われる裸祭りのコンセプトはシンプルだ。男たちはまず、水場で凍えるような冷水で体を清めて境内に集まり、住職が上から投げる宝木(しんぎ)と呼ばれる数本のバトン状の札を求めて争奪戦を繰り広げる。

 宝木は幸運をもたらすといわれるため、男たちはそれをつかもうと全力を尽くす。約1万人の参加者に対して、宝木は数本しかなく、男たちが激しく小競り合いする姿が見られる。過去には圧死者も出たという。つまり彼らは、福を求めて死力を尽くして戦うのだ。

(c)AFP/Behrouz Mehri

 フォトグラファーにとっては、強烈な写真が期待できる素晴らしい取材だ。そのため私はこの祭りに参加することを楽しみにしていた。正直言って、奇妙な祭りだという思いは多少あったが。「俺たちも裸で行くか」と同僚に冗談で聞いてみたりもした。

 後で分かったことだが、祭りの名称は少し紛らわしい。男たちは全裸ではなく、相撲力士のまわしのように、ふんどしを巻いていた。競り合いがどれだけ激しいものになるかを物語る慣習がある。男たちは重傷を負ったときに救急隊員に知らせるため、儀式の前に自分の血液型を書いた名札をふんどしに挟んでおくのだ。

 私は日本の寺院が大好きだ。この国の精神と日本人の性質を実によく捉えているように思える。寺院に入ると、静けさをたたえた落ち着いた雰囲気が広がっている。だが一方で、しかるべき時が訪れたら今にも噴出しそうな隠れたエネルギーも感じられる。これは日本文化のある一面ではないだろうか。武道においても求められるのは平静心だ。敵には、のんびりしているようにしか見えない。だが、いざ戦いが始まると戦う。それも全力で。

 西大寺に着くと、この祭りがどれだけ深く地元に根付いているかを実感した。宗教的な祭りとされているが、私が見たところ、大半の人々の参加理由は昔からずっと参加してきたことにあるようだった。この祭りが幼い頃から生活の一部となっているのだ。

 事実、大人たちの前には子どもたちの裸祭りもあった。規模が小さいだけで基本的には同じだ。少年たちが円形に集まったところに住職がはしごの上から小さな宝木を投げ入れると、争奪戦が始まった。僧侶たちは注意深く見守っているが、子どもたちは戦いを始めると、本気で戦う。

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 現地にはさまざまな人々がいた。西大寺に向かっているあるグループに話し掛けると、クラシックカーマニアだというジーンズ姿の男性は、自分でカスタマイズした巨大なオートバイを持っていた。そのバイクをほとんど自分一人で組み立てたのだという。信仰心はまったくなかった。彼らは、ただ楽しいから、そしてチャレンジのために祭りに参加していた。地元の人間ならそうする。それが伝統というものだ。

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 西大寺自体もとても美しい寺だった。古い見事な木造建築と美しい日本庭園がある。歴史的な場所にいるのはいつも楽しい。目を閉じて自分が違う時代にいることを想像すると、まるでタイムマシーンに乗った気分になる。

 西大寺周辺一帯が祭りの雰囲気に包まれていた。通りは「裸の」男性の集団であふれ、戦場へ向かう前に雄たけびを上げるように「バショイ(ワッショイ)」と叫んでいた(この言葉は何の意味も持たない。ただ大声で繰り返すフレーズだ)。

 警察が西大寺に続く道の両端に立っていた。大勢の「裸の」男たちのために道を開け、毎年この祭りにプロ仕様のカメラ持参で訪れる大勢の観光客を寄せ付けないようにするためだ。さまざま国からやって来た「裸の」外国人の集団も、日本の男たちと同じ気持ちでこの儀式に参加していた。

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 裸祭りの撮影は技術的に少し難しかった。初めての被写体に接するときはいつも、いいアングルを見つけ、どう撮影するかについて頭を悩ませる。前もってリサーチなどをすることはできるが、実際に現場に行ってみないと分からない。

 撮影の場所取りで少々問題が生じた。宝木の奪い合いを撮影するのに最適な場所は上からのアングルだ。そこからなら、大勢の人間が身をよじらせながら聖なる木を奪い合う写真を撮れる。だが、上からの撮影場所は日本の地元メディアにしか割り当てられておらず、私たちには権利がなかった。唯一の手段は、(有料観覧席の)チケットを買って儀式が始まる前に位置に就いておくことだった(宝木が投下されるときは観光客はそこまで行くことが許されない)。

 だから、私はその方法を選んだ。もちろん、宝木が投下される場に居合わせたかったという気持ちはあるが、それでもいい写真は何枚か撮れた。それに、もしあそこにいたら、参拝者たちの多様な写真は撮れなかっただろう。

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 祭りを見終わり、今も記憶に残っているイメージは、大勢の男たちが痛みに顔をゆがませてうめき声を上げながら腕を突き上げているときに立ち上っていた湯気だ。宝木をつかむことができた男は、殺気立って宝木をもぎ取ろうとしてくる周りの男たちに立ち向かい、宝木が授けてくれるとされる富と厄よけの御利益を手放してしまわないよう必死に戦わなければならない。後で話を聞いたある参加者は、逃げることができて運が良かったと語った。近くに投げられた宝木を素早く自分のふんどしの中にすべり込ませ、群がってくる群衆の中を強引に逃げ切ったという。

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 少年たちと男たちをそれぞれ撮った自分の写真を後になって見返しているうちに、あることに気が付いた。この伝統行事に参加している人々は、その理由を自問したりはしない。彼らが参加するのは、それが自分たちの文化だから。幼い頃からやってきたことだからだ。

 私のような部外者には、裸に近い格好の男たちが幸運をもたらすとされる札をつかむために、まず冷水を浴び、その次に大けがをするリスクもいとわずに競り合うのは奇妙に見えるかもしれない。だが参加している人々にとっては、決してそんなことはない。彼らは若い頃から祭りに参加し、友人や同級生らと楽しんできた。自分たちの文化に織り込まれている要素にすぎないのだ。(c)AFP/Behrouz Mehri

このコラムはAFPパリ(Paris)本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同執筆し、2017年3月9日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

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