【AFP記者コラム】この国に生まれた悲運、南スーダンの絶望
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【3月13日 AFP】食糧危機を報じる際の課題は、栄養不良の子どもたちや、あばら骨が浮き上がった子どもたちを見せることだけではない。確かに彼らは問題の一部であり、あまりに悲惨であるがゆえに、恐らくは反響が最も大きい部分でもある。
だが、それ以外にもたくさんある。
食べ物を待つ人々、食べるために木から葉を集めている人々、それしかないからと植物の茎を食べている人々がいる。カメラマンとしての私の課題は、こういった光景をすべて捉えて、問題の複雑さを伝えることだ。
先月、南スーダンの一部地域における飢饉(ききん)の発生が発表された。過去6年間で世界初であり、メディアが一斉に報じた。だが戦争で荒廃したこの国の現場の人々には、前々から予想がついていた。
食糧不足がこの若き国を特徴づける問題となって久しい。2011年の独立からわずか2年で、内戦に陥った。何万人もが命を落とし、300万人以上が避難を余儀なくされた。和平協定を目指す取り組みが繰り返されてきたにもかかわらず、戦闘は激化の一途をたどっている。
内戦は殺りくと暴力に加えて、食料供給の著しい妨害ももたらした。飢饉は突然起きるものではない。食糧不足とそれに伴う栄養不良は徐々に進む。専門家らはもう昨秋の時点で、既に深刻な状況に陥っていた食料不安が翌年さらに悪化する恐れがあると警鐘を鳴らしていた。そのため、特に危機的状況にあったバハル・アルガザール(Bahr al-Ghazal)を訪れる機会に恵まれた私は、ためらいなく足を運んだ。
私は以前にも栄養不良や食糧危機の様子を撮影したことがある。私はスーダン・ダルフール(Darfur)で活動する国連(UN)のために5年間働き、エチオピアの同問題に関する写真を撮った。さらにペルー南部でも、子どもたちに食べさせるのが困難を極める非常に貧しいコミュニティーを撮影し、この問題を喚起した。
それでも、ここまでの規模の問題は見たことがなかった。影響を受けている人数で言えば、私が目撃してきた中で最多だ。国連によれば、南スーダンでは約10万人が飢餓に陥り、さらに100万人が飢餓寸前だという。ただただ信じられない数だ。
現場では人々が本当に、本当に苦しんでいる姿が見える。しかも私にとって一番つらいのは、希望のなさだ。私の経験では、人は最悪の状況下でも「何かが起こって、状況は良くなるはずだと願おう」という姿勢は持ち続ける。だがここでは違う。ここの人たちはほとほと疲弊している。彼らはもうこの国の未来を信じていない。
このような取材に当たっていると、胸に迫る場面に何度も遭遇する。
年老いた女性が茎を食べているのを見た時。
飢えた人々が列を成して食糧供給を辛抱強く待っている姿を見た時。
胃に何か入れようと、木から葉を集めてそれを食べている人々を見た時。
そして言うまでもなく、あの子どもたち。
私の頭から長く離れないだろうと思うことの一つに、同国北東部の辺地にある医療施設で見た光景がある。栄養失調児は、それが唯一の問題であることの方が少ない。それ以外の病気も併発し、大半の子がさまざまな問題を抱えているのだ。
そこに生後7か月ぐらいで、呼吸器疾患のために人工呼吸器につながれた赤ちゃんがいた。私が写真を撮っていた最中に、院内の発電機が止まった。ごく頻繁に起こることだ。電気がないので、その小さな赤ちゃんは私たちの目の前で亡くなった。
その場に立ち尽くしながら、ある特定の国々に生まれてくる人々は何と幸運なのだろうと思った。南スーダンのような国に生まれた人たちは、食べ物や病院の電気など基本的なサービス、つまり私たちがあって当然とみなす必要最小限のものの多くを手にすることができない。
フォトジャーナリストとして、それは私に衝撃を最も与えたことの一つだ。生まれた場所次第で、何もかも異なる。この赤ちゃんは不運にも、南スーダンで生を受けた。自分がどれだけ恵まれているかを思い知らされる。
私は2015年9月以降、首都ジュバ(Juba)を拠点にしてきたが、それについては入り混じった思いがある。
この国も国民も素晴らしい。大きな可能性があり、伝えられるべきストーリーが数多くある。だからこそ私はここに来た。取材したいテーマは山のようにあったし、今もまだ残っている。
だがその一方で嘆かわしいことに、治安が悪いゆえにその大半に着手できていない。なかなか自由に移動できない。やりたいことができないでいると、ある時点でやる気を失ってしまう。しかも希望がない。国民が、この国に対する希望をすべて失ってしまっているのが目に見えて分かる。だからこそ多くの人がここを去ってしまったのだ。絶望を目の当たりにすること──これほど胸の痛むことはない。
もう一つ忘れられないのが、ジュバの小児病院で撮った写真だ。私は深刻な容体から快方に向かっていた母子を撮影した。取材を続けて、明るいニュースを届けられればと思っていた。だが数日後、再び病院を訪れようと思っていた矢先に、子どもが亡くなったと知らされた。原因は分からないが、私にとってはこの土地の希望のなさを象徴する出来事となった。
これまで幾度となく死を目撃してきたが、子どもが息絶えるのを見るのはこの上もなく悲しい。だが仕事中は考えないようにしている。そうしないと仕事にならないだろう。普段通りに仕事をこなす。このような状況でも、感情にのまれてはいけない。
こういう時こそ経験が物を言う。もし私が20歳だったら、このような状況では仕事にならなかっただろう。何度も経験してきたからこそ、前よりは少し慣れてきたように思う。いつか完全に慣れるというわけでもないが。
心が重くなるのは、仕事を終え、それについて考える時だ。仕事の後、感情が戻ってきて、自分がいかに恵まれているかを実感する。(c)AFP/Albert Gonzalez Farran
このコラムは、ジュバを拠点とするフリーランスのアルベルト・ゴンザレス・ファラン(Albert Gonzalez Farran)カメラマンが、AFPパリ(Paris)本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同執筆し、2017年2月28日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。