イラクのキリスト教徒、生存者が語る「IS統治下」の生活
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【11月24日 AFP】イラクのキリスト教徒は、2年以上にわたってイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の支配下で脅迫され、十字架に唾を吐きかけたりイスラム教に改宗したりすることを強制された。しかし、そんな状況下を奇跡的に生き抜いた人々がわずかながらいる。
ISが2014年8月にイラク北部ニネベ平原(Nineveh Plain)を席巻すると、キリスト教徒たちは改宗か納税、退去、あるいは死かの選択を迫られ、約12万人が脱出した。
しかし現在、ISが制圧していた北部モスル(Mosul)周辺地域の大部分をイラク軍が奪還したことで、脱出のチャンスをつかむことのできなかったキリスト教徒たちの逸話が明らかになってきた。
イスマイール・マティさんが生まれ育った、モスルの東にあるバルテラ(Bartalla)にISが攻め込んできたのは、彼が14歳のときだった。
マティさんは先に脱出した親族が自身と病気の母ヤンダル・ナシさんを迎えに戻って来るのを待っていたが、迎えが来ることはなかった。
マティさん親子はタクシーでの脱出を試みたが、ISに2度阻止され、とうとうモスルの刑務所に収容されてしまった。
クルド人自治区の中心都市アルビル(Arbil)にある教会が運営する保護施設で取材に応えたマティさんは、「私たちの隣の房には(イスラム教)シーア派(Shiite)の人たちが押し込まれていました。彼ら(IS戦闘員)はその一人を選ぶと頭を撃ち抜き、遺体を私たちの前に引きずってきました」と語った。
「彼らは母に、改宗を拒めば息子も同じ目に遭わせると言いました。だから私たちは改宗したのです」
マティさん親子はバルテラに戻され、その後モスル西郊の村に移された。
「近所に住む人たちはみんなダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語名の略称)でした。彼らは私がシャリア(イスラム法)に従っているかどうかを確認しにやって来ました」
マティさんは、モスクでの礼拝に参加しなかったことが知られるとむちで打たれ、次に移されたモスルの東に位置するバズワヤ(Bazwaya)でも同じ目に遭ったという。食べ物を分けてくれる友好的な隣人もいたが、母親は決して家の外に出なかったという。