【AFP記者コラム】遺体を踏み付けても前に進む─ただ生きるために
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【12月7日 AFP】これほど純粋な形で表れた生存本能というものを、私はいまだかつて目にしたことがなかった。他に選択肢もなく、過酷な旅に出る──ただもう1日生き延びるために。混乱の中でできる限りの注意を払いながら、いくつもの遺体を踏み付けながら歩を進める──自分の命を救うために。
私は欧州難民危機を1年以上取材してきた。だがリビア沖で見た光景はただただ信じ難く、常軌を逸していた。
10月の2週間、私は非政府組織(NGO)「プロアクティバ・オープン・アームズ(Proactiva Open Arms)」の全長30メートルのヨット「アストラル(Astral)号」に同乗させてもらった。プロアクティバ・オープン・アームズは、地中海(Mediterranean Sea)で活動している数多くの国際NGOと同様に、定員超過した船から人々が海に落ちて溺れるのを防ぐという、ただその使命を果たすために尽力している。
ご存じない方のために、地中海の現況を説明しておく。貧困や紛争、抑圧から逃れようとする、主にサハラ以南アフリカの人々が、まずリビアまでやって来る。そこで密航業者に金銭を支払い、船に乗せてもらう。欧州へたどり着けると信じ、より良い生活を始められることを夢見て。
密航業者はゴムボートや古びた木造船などに人々を押し込み、リビア沖の国際水域までは連れて行くが、そこで放置する。残された人々は海を漂う。食料もない、水もない、自分たちと欧州とは何百キロも離れているのだという認識もないままに。彼らを救うのは、大半がNGO、もしくはイタリアの沿岸警備隊だ。
船に人が押し込まれているというのは、誇張でも何でもない。あまりのすし詰め状態に、呼吸もままならず亡くなる人もいるほどだ。私たちが発見した船のうちの一つでも、同じ事態が生じていた。信じてもらえるだろうか? 屋外に居ながら、窒息死することがあるなんて…
私はアストラル号で2週間を過ごした。乗船初日に、非常に多くの人々に遭遇した。約6000人が、木造船やゴムボートに乗って漂流しているのが見つかった。その海域にはNGOの大型船が多数出ていて、全員救助に成功し、イタリアのシチリア(Sicily)へ送り届けた。アストラル号は、移民の搬送は行わない。船体が小さ過ぎるからだ。そのため、同域に残ったのはわれわれだけになった。
午前3時、さらに多くの船が近づいているという情報が入った。私たちは複合艇(硬式ゴムボート)2隻にライフジャケットを積めるだけ積み込み、船の捜索に出た。これこそがアストラル号の仕事だ。人々にライフジャケットを提供し、海に落ちた人や飛び込んだ人がいれば救い上げ、大型船がやって来て彼らを乗せイタリアへ移送するまで、皆を落ち着かせる。
真っ暗で何も見えなかったが、約1時間後に最初の船が見つかり、作業に取り掛かった。
午前8時ごろ、木造船1隻とゴムボート数隻を発見した。木造船は3層構造になっており、約1000人が押し込まれていた。複合艇の一つに乗り込んで木造船に近づいた私は、中の写真を撮ろうと同船に飛び移った。
ライフジャケットを手渡し始めたが、前日にも配っていたこともあり、用意していた2500着では足りなかった。そのうち木造船のどこからともなく煙が上がってきて、人々はパニックに陥った。船上の人々がパニックを起こすと、端から端へ激しく動き回るため、船の転覆を招くことが多い。海に飛び込み始める人もいた。私も何とか逃げ出した。1隻の複合艇が近づいてきたので、そちらへ飛び戻った。
カオスだった。皆海に飛び込み、叫び、NGO側も移民らに対し落ち着くよう大声で呼び掛けていた。どういう具合だったのかは分からないが、幸い転覆には至らなかった。
だがその時点で、150人が海に出ていた。われわれは持っていた全てを彼らに与えた。ヨットを係留する際のフェンダー(緩衝用の防舷材)まで、皆が溺れないよう差し出した。
少し落ち着きを取り戻した時、幸運なことにイタリア海軍の船が現れた。私たちは人々をそちらの船へ移送し始めた。まずはライフジャケットを持っていない人からだ。
同域にはこの木造船の他にも、いくつか船が浮かんでいた。そのうちの1隻のゴムボートに近づくと、200人以上が乗り合わせているのが見えた。皆極度のパニック状態で、われわれに向かって船上に死者がいると叫んでいた。
私は船長に接近してほしいと依頼した。近づいた際にのぞき込もうとしたが、遺体は見えなかった。あまりに多くの人が乗っていて、中まで見えなかった。われわれはこの船の人々を、イタリア海軍の船に送り届け始めた。一度に約50人ずつ3往復し、最後にゴムボートに近づいた際、私は「それ」を目にした──中央に重なり合った遺体の山だ。
ショックだった。私はゴムボートに飛び乗り、写真を撮り始めた。残っていた人々がボートから降りるためには、遺体の上を歩く他なかった。彼らはできる限り慎重に、できる限り避けて通ろうとしていた。あの光景は、私の心に一生残るはずだ。遺体をなるべく踏まないようによけながらも、下船するためにはその上を歩かざるを得なかった、ぼろをまとったあの人々──。
その時点では誰も、遺体をどうするかについては考えていなかった。まずは生存者を救出しなければならなかった。最終的に、約3000人を下船させた。
それから遺体の数を数えた。ざっと見渡した限り22人いた。だがもっといることは分かっていた。ボートを見失ってしまわないよう、引き寄せてアストラル号につないだ。夜遅く、ようやくその日の作業を終えた。午後10時ごろだった。皆疲れ切っていた。
翌日、われわれは遺体を専用の袋に収め、改めて数え直した。29人に上った。全遺体をいかだに乗せ、イタリア沿岸警備隊に引き渡しを行うまでほぼ2日間にわたってえい航した。翌日は波が非常に高く、いくつかの遺体がいかだから滑り落ちて海に浮かんだが、何とか全員収容することができた。
今リビア沖で起きていることは、完全に常軌を逸している。合理性など一切ない。これらの人々は、完遂し得ない旅に出る。あまりに遠過ぎるのだ。密航業者らにはそれが分かっている。でも乗り込む人々は知らない。
海から助け出した人々に、今どこにいると思うかと尋ねると、皆口をそろえてイタリアのそばだろうと答えた。実際に移動した距離はほんの30キロ前後だと言うと、信じられない様子だった。
私は先にギリシャの島々で、難民危機を何か月にもわたって取材したが、そこでの状況にはもう少し合理性があった。トルコから出航した人々には、レスボス(Lesbos)をはじめとするギリシャの島々までたどり着くチャンスがあった。確かに危険ではあるし、大勢が溺れもしたが、より現実味のある旅だった。だがリビアからの旅路に現実味はない。
乗ってくる人も違う。レスボス島にたどり着いたのは、大半が戦争を逃れてきた中流層だった。ここにいるのは本当に本当に貧しい、ただ生き延びたい一心の人々だ。
彼らはシリアのように、公式に内戦国と認められている国の出身者ではないかもしれない。しかし皆必死で、もう1日生きるためなら何でもする覚悟ができている。私はそのうちの何人かに話し掛けてみた。将来の計画を持った人はおらず、ただ逃げてその日を生き切ろうとしていた。純粋な生存本能だった。一目見れば分かる。そのうちの多くの人が、文字通りぼろを着ているからだ。
下着姿の人もいる。想像できるだろうか? 下着で海を渡ろうとするなんて。中には全裸の人だっている。彼らはただただ生きようとしている貧しい人々であり、こんなことが実際に起こっているのだと見せつけられるのは、あまりに悲し過ぎる。
NGOがいなかったらどうなっているか、私には分からない。別の見方をすれば、NGOがいなかったらこういう状況は生まれないともいえる。密航業者も、国際水域で救出される見込みもないのに人々を放り出すことはないだろう。だからといって、何千人もが水死するリスクを冒して平然としていられる人がどこにいるだろう? NGOはやはりこの水域にとどまるしかない。もし彼らが去ってしまえば、何千もの人々が海のあぶくと消えてしまうのだから。(c)AFP/Aris Messinis
このコラムは、アリス・メシニス(Aris Messinis)カメラマンとパリ(Paris)本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が共同執筆し、2016年11月7日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。