動画:81歳のDJおばあちゃん、昼は厨房、夜はフロアを盛り上げて
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【11月18日 AFPBB News】昼は中華料理店の厨房(ちゅうぼう)を、夜はクラブのDJブースを仕切る――81歳の岩室純子(Sumiko Iwamuro)さんは、東京・高田馬場の中華料理店「餃子荘ムロ」で働く傍ら、夜には新宿・歌舞伎町など繁華街のクラブでDJとして活動している。
父が戦後に創業した料理店で働き始め、勤続63年目。現在は弟が経営を引き継ぎ、岩室さんは調理を手伝う。毎日午後4時に出勤し、開店準備を始める。看板に明かりがともると、なじみの客が次々とのれんをくぐってくる。厨房は「まるで戦場」と岩室さん。23時頃に仕事を終え、自転車で帰宅すると、息つく間もなく愛犬の散歩に出かける。
その後ようやく、「DJスミロック(SUMIROCK)」の時間が始まる。Tシャツにサングラス、帽子を被り、素早く身支度を整えると、口紅をひと塗りし、夜の街へとさっそうと繰り出す。向かうは、歌舞伎町のクラブ「デカバーZ(DecaBarZ)」。若者や外国人が入り乱れる店内で、DJ仲間や友人を見つけては挨拶を交わし、自然と溶け込んでいく。
お決まりのテレビアニメ「鉄腕アトム」のテーマ曲が流れると、DJスミロックワールドの始まりだ。慣れた手つきで、テクノからシャンソンまで様々なジャンルの曲をかけていく。ポールダンサーも登場し、ダンスフロアが熱気に沸く。81歳とは思えない軽快な足取りで、DJの仕事が一息ついた後も、テキーラを片手に仲間たちと明け方まで過ごす。
■生きているうちに、やりたいことを
DJを始めたのは、約5年前。ワーキングホリデーで来日し、岩室さんの自宅に半年間滞在していたフランス人イベントオーガナイザー、アドリアン(Adrien)さん(36)との出会いがきっかけだった。アドリアンさんに誘われ、度々会場に足を運ぶうちに、DJの音楽に魅了された。「最初はうるさいと思ったけど、すぐに慣れて、いいなと思った。電子音がすごくいい」と声が弾む。「DJをやってみたら」というアドリアンさんの提案に促され、DJ の学校に通い始めた。「最初は本当に、猿まわしの猿状態」だったと笑う。
家業を19歳の頃から手伝ってきた岩室さん。「戦争があったり、戦後に店を始めたことで時間や機会がなく、やりたいことができなかった。生きているうちにやれたら面白いと思って」とDJの道へと一歩踏み出したときの心境を振り返る。
ジャズのドラマーでもあった父親の影響で、もともと音楽好きだった。戦時下でも、蓄音機に座布団をかぶせてはジャズに聴き入った。「敵国の音楽だったから、周りにわからないようにね」。戦後も、在日米軍向けラジオ放送極東放送(FEN)で洋楽を聴いた。「演歌や歌謡曲はあまり好きじゃないの」
■DJも料理店も「お客さんに喜んでもらうこと」が仕事
DJとしての活動がメディアで取り上げられ、料理店を訪れた客から「テレビで見たよ」と声が掛かることも。しかし本人は、「チャンスさえあれば誰でもDJになれる。才能は別にないと思う」とあくまで謙虚だ。
ただ厨房で働くときと同様、DJとして大切にする心構えがある。それは「お客さんに喜んでもらうこと」だ。「お客様の好き嫌いや、出すタイミングを考えることが大事。どちらも結果はすぐに出る。作って食べてもらうと、美味しいという顔をするし、DJもよかったら皆さん喜んで踊ってくれる」
岩室さんは、事前の曲選びにも余念がない。インターネットで最新の音楽を調べ、CDショップにも足しげく通う。あらゆるジャンルをリサーチし、面白い曲や懐かしい曲をと選ぶのは「DJスミロックは色んな曲をかけてくれるとみんなが期待しているから」。
■いつかのニューヨークを夢見て
その腕前は、仲間も認めるほど。DJのマックス(Max)さん(30)は、最初に岩室さんがDJを始めると聞いたとき、「無理だ」と思ったという。しかし、実際に岩室さんのプレイを目にして驚いた。「若いDJに、この曲はかけられないだろうと思った。音楽を知っている人だと感じた。学ぶことが多い」
そんな彼女の目標は、いつかニューヨークでDJをすること。「小さな会場でやるのが夢」と付け加える。「私にとっては音楽は、食事とまではいかないけど、美味しいお茶やコーヒー。なかったら、つまらない」と81歳の心若きDJは茶目っ気たっぷりに笑った。(c)AFPBB News/Hiromi Tanoue