ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督逝く 90歳
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【10月10日 AFP】(更新、写真追加)祖国ポーランドの激動の歴史を描き続けた映画界の巨匠、アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)監督が9日に死去した。90歳。地元メディアが報じた。
死去は地元紙ガゼタ・ヴィボルチャ(Gazeta Wyborcza)や民放テレビ局TVN24が伝え、AFPもワイダ家の友人に確認した。この友人によると、病院で医療行為によって数日間昏睡状態にあった後、同日に肺不全で亡くなったという。
1926年、ポーランド北東部の町スワルキ(Suwalki)生まれ。父と同じく軍人になることを目指したが、1939年に士官学校に入学を断られ、その後、名門ウッチ(Lodz)映画学校で映画制作などを学んだ。
ナチス・ドイツ(Nazi)支配下のワルシャワ(Warsaw)の若者を描いた1955年の『世代(A Generation)』で長編映画監督としてデビュー。1957年の『地下水道(Canal)』はカンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)審査員特別賞を受賞し、翌年の『灰とダイヤモンド(Ashes and Diamonds)』と続く「抵抗3部作」で国際的な評価を獲得した。
1977年には、共産主義国のポーランドを批判的に描いた『大理石の男(Man of Marble)』をカンヌ映画祭に出品。自主管理労働組合「連帯(Solidarity)」を題材にした1981年の『鉄の男(Man of Iron)』は同映画祭の最高賞パルムドール(Palme d'Or)に輝いた。
1989年にポーランドの共産党政権が崩壊してからは自国の戦時中の歴史に目を向け、ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)で亡くなったユダヤ人医師を描いた『コルチャック先生(Korczak)』(1990年)などを撮った。
晩年になっても制作意欲は衰えず、2007年の『カティンの森(Katyn)』では第2次世界大戦(World War II)中に実父が経験した悲劇を取り上げた。
ポーランドの映画監督・脚本家のクシシュトフ・ピエシェビッチ(Krzysztof Piesiewicz)氏は「ワイダ氏は偉大な芸術家であるだけでなく、ポーランドの自由の礎を築いた一人だ」とその功績をたたえた。(c)AFP