■「彼らが日本でプレーする姿を見たい」

 イブラ・グエイェ君(15)はチーム最高のバッターだ。細くてシャイな彼は、いつか外国のプロチームでプレーすることを夢見て、居残り練習をしているという。「家族を助けるためにプロになりたい」と、セネガルの多くの少年たちの言葉を代弁するように彼は語った。同国では昔からサッカーやバスケットボールが貧困から抜け出す手段と考えられてきた。

 日本とセネガルの野球を通じた交流は、セネガルが競技連盟の創設に苦しんでいたときにJICAがコンタクトしたことから始まった。

 現在、セネガルの野球・ソフトボール連盟の会長を務めるイブラ・カダム(Ibra Kadam)氏は、ここ数か月の練習風景を見て、ダカールのチームに期待を寄せる。

「彼らは半年前に始めたばかり。それが今ではどうやってプレーするか分かっている。これらの子どもたちは、今から1、2年後には資金援助も受け、素晴らしいプレーヤーが生まれているかもしれない」とAFPのインタビューに語った。

 セネガルでは、サッカーは宗教に近いスポーツだ。サディオ・マネ(Sadio Mane)をはじめ才能ある多くのセネガル人選手が欧州のトップチームでプレーしており、成功する可能性がわずかでもサッカー選手を目指す子どもは多い。

「サッカーはこの国ではとても重要」と、サッカーのユニフォームとシューズをはいてボールを蹴っている子どもたちを見ながら、小川さんは述べた。

 セネガル人にとって、野球用品は天文学的な価格だ。グラブが33ドル(約3300円)、バットは平均月給の3倍近い167ドル(約1万7000円)もする。そして限られた狭い土地と人々がひしめき合って暮らしている住宅事情も、野球が市民権を得る助けにはなっていない。

 それでも、小川さんは「野球外交」の一環として日本から送られたコーチとしては3代目にあたり、今後もこの流れが続くことを期待している。

 自分が帰国した後も、子どもたちにはプレーを続けてほしいと語る小川さんの夢は、「いつの日か、彼らが日本でプレーする姿」を見ることなのだという。(c)AFP