【AFP記者コラム】ギリシャとマケドニアの国境で正気を失う難民たち
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【6月9日 AFP】ギリシャとマケドニアの国境で何か月間も足止めされている難民たちを見ていて衝撃的なのは、彼らが正気を失い始めていることだ。
私はこの難民危機を何年にもわたって取材している。内戦が続くシリアを逃れた難民、トルコとの国境で有刺鉄線を越えようとする難民、危険な旅の末に欧州の入り口であるギリシャのレスボス(Lesbos)島にたどり着いた難民など、取材した場所もさまざまだ。そして今、マケドニアとの国境に近いギリシャの村イドメニ(Idomeni)で、彼らを見つめている。
ここには現在、約1万1000人が滞在している。トルコからギリシャに渡ってバルカン半島を北上する移民や難民らを阻止するために各国が国境を閉鎖した結果、ここで多くの人々が足止めされている。過去1年ほどで、シリアやイラク、アフガニスタンなどから戦争や貧困を逃れてきた何十万人もがこのルートを通って、欧州へ渡って行ったのだが。
多くの場所で難民危機を取材したが、どこもそれぞれ違っていた。ここの場合は、皆が絶望に打ちひしがれている。彼らは戦禍を逃れ、子どもを抱えて危険な旅をしてきた。だが欧州にたどり着いたのに、祖国と変わらぬ状況に置かれているのだ。欧州への門は閉ざされ、明日が見えない日々。なかにはここに2、3か月滞在している人たちもいる。ただ待ち続けるだけ。その先に何があるのかは分からない。欧州に入れるのだろうか? トルコへ帰されるのだろうか? 祖国に強制送還されるのだろうか?
そして彼らは正気を失っていく。彼らに何ができるだろう? そのような状況に置かれたら、誰だって気がおかしくなる。彼らの行動は日に日に変わっていく。私だって例外ではない。ただ自分の仕事をしているだけであり、多くの難民を取材してきて、こうした状況には慣れているはずの私でさえ変わっていった。ここでの滞在期間は2週間で、取材が終われば家族が待つ家に帰ることができると分かっていた私でさえ、日に日に落ち込み、攻撃的になっていった。
ここの難民キャンプの暗い雰囲気は、覆いかぶさってくるというより、重くのしかかってくる。
加えて、劣悪な住環境がある。このひどさを言葉でどう表現したらいいか分からないほどだ。過去5年間、内戦状態にあるシリアの避難民キャンプと変わらない過酷さだ。
まず、ひどい臭いに襲われる。トイレと体臭が混ざった臭いだ。人々はトイレのそばで寝食をして生活している。トイレの中で寝て食べて生活しているとも言えるだろう。ほかに何と表現することができるだろう? シャワーも足りないし、手を洗う場所も足りない。水も十分にない。これ以上、言いようがない。
キャンプ全体が、まったく衛生的でないのだ。
その臭い、いや悪臭はひどく、どこへ行っても臭ってくるし、子どもたちは病気になっている。このような状況を紛争地で見たことはあるが、ここは欧州だ。欧州でこうした状況が起きているなんて恥ずべきことだ。彼らはまるで家畜のような生活をしている。彼らを軽蔑する意味でこんなことを言っているのではない。欧州に到達したのに、いまだ内戦下のシリアにいるような生活をしているという現状を指摘したのだ。
そんな状況でも、彼らには日常がある。それを日常と呼ぶのがふさわしいかは分からないが、彼らは非政府組織(NGO)が配給する食料を求めて列から列へと並び、与えられたものを食べる。
食べて寝るよりほかに、やることは何もない。ただ待つだけだ。そんな生活を想像できるだろうか? あらゆる犠牲を払ってここまで来たのに、自分の夢や希望がゆっくりと少しずつ失われていくのを目の当たりにする以外、文字通り一日中、何もすることがないのだ。これからどうなるのか、先もまったく見えないのだ。
多くのお金と時間を費やし、数々の危険を冒して彼らはここまでやって来た。祖国に帰りたくはないし、そもそも帰ったとしても、そこには何もない。それに何のために多くの犠牲を払ってここまで来たのか、という思いもある。
ジャーナリストは、彼らから救世主のような目で見られるため余計にきつい。彼らは毎日、私に聞いてくる。「ゲートはいつ開くのか?」「私たちはどうなるの?」そうした問いに、私はどう答えればいいのか分からない。私にも本当に分からないからだ。
この難民キャンプの中での暮らしがどんなものか──私の友人で、シリアから逃れてきたクルド人女性の場合はこうだ。彼女の夫は半年前に欧州へ向かい、ドイツにたどり着いた今、妻と2人の子どもを呼び寄せた。シリアをたった彼女はこの国境地帯に2か月間足止めされている。彼女が食料配給の列に並びに行くと、人々が食べ物をめぐって争い、殴り合っていたという。
「私はこれまで生きてきて、食べ物のために人を殴ったことなんかない。私にはそんなことできない。こういう場所であっても、食べ物のために人を押しのけるなんてできない」と、彼女は私に言った。だから彼女は、食料がもらえなかったときは何日間も食べずに過ごす。これがキャンプ内での生活だ。
そして子どもたち。ここの取材で最もつらいのは、悲惨な状況に置かれている子どもたちを見るときだ。彼らのことは、取材を終えて家に戻ってからも頭から離れない。とくに自分に子どもがいる場合は、なおさらだ。
子どもたちはここで、徐々に正気を失っていく。学校に通えないからだ。学校に通わない子どもがどうなるか分かるだろうか? 彼らの行動に変化が見られるようになり、彼らの脳が変化していくのを実際に感じることができる。
子どもたちは線路の真ん中で泥まみれになって遊ぶ。他にすることがないのだ。私のところに寄ってきて体に触ったり、押したり、叫んできたりする。何もすることがない彼らに、どうしろと言うのだ?
私の友人の8歳の息子と14歳の娘は、シリア内戦のために2、3年間学校に行けなかった。彼女は子どもたちのことを本当に心配していた。何も勉強していないのに、あの子たちはどうなるのか、と彼女は私に語った。
その上、1週間前には催涙ガス事件まであった。多くの人が閉ざされたゲートを力ずくで通り抜けてマケドニアに入国しようとしたため、兵士たちが催涙ガス弾を投げ、ゴム弾を発砲。数十人が負傷し、後にNGOの治療を受けた。
想像できるだろうか? 地獄から逃れてきた人々が、地獄のような環境で暮らしている。先が見えないなかで、催涙ガスを浴びせられる。
まさに狂気の沙汰だ。こんな場所で正気を保つことなど誰にもできない。 (c)AFP/Bulent Kilic
このコラムは、トルコのイスタンブール(Istanbul)を拠点とする、受賞歴もあるAFPのチーフカメラマン、ビュレント・キリチ(Bulent Kilic)がフランス・パリ(Paris)のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同執筆し、2016年4月18日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。
ギリシャ当局は先月末、このキャンプを閉鎖しました。収容されていた約8400人は、イドメニから国内各地の収容施設に移りました。