【AFP記者コラム】 アレッポ、地獄の一日
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【5月27日 AFP】私は正直なところ、シリア内戦は終わらない気がしている。生まれ故郷であるアレッポ(Aleppo)で、これまで3年にわたって写真を撮り続けてきた。先週の木曜日(4月28日)は、自分の街に降り掛かった最も地獄のような日の一つだった。
反体制派が掌握し、政府軍に包囲されている住宅地のアルカラサ(Al-Kalasa)で、幼い子どもが救出される写真を撮った。空爆を受けた時、私は民間防衛当局の車列と共に数百メートル離れた場所にいたが、カメラを手に着弾地へ向かって駆け付けた。
アレッポが空爆されると、負傷者を助けるのはまず近隣住民だ。その後、現場に到着した民間防衛当局の救助隊が引き継ぐ。救助隊員の多くはトルコで訓練を受けてきている。この日も同じだった。
われわれが到着した時、損傷を受けたアパートの建物の内部から女性が泣きながら助けを求めていた。彼女と夫、そして夫妻の赤ちゃんが、3階にある彼らのアパートの残骸の中で身動きがとれなくなっており、どうやっても下りられそうになかった。
救出作業は非常に速やかに始まった。民間防衛隊はアパートにはしごをかけ、まず男児を下ろした。アパートは破壊されていたが、3人は何とか負傷を免れていた。私は男児が救出される場面と、家族がまた一緒になれた瞬間を写真に収めた。その後彼らがどうなったかは分からない。誰なのかも知らないのだ。
この日はアレッポにとってひどい日だった。その前の1週間は、街が経験した最悪の週の一つだった。4月22日に政府軍の攻撃が始まって以来、250人以上の一般市民が爆撃で命を落とした。
内戦中に続いてきた砲撃で、アレッポは廃虚と化した。レストランやカフェ、レジャー施設もなければ、戦前このシリア第2の都市で発達していた豊かな文化生活の痕跡もない。アレッポは世界で最も危険な街の一つだと思う。
シリアでカメラマンとして働くのはつらい。危険な職業だ。何より最高のショットを撮るためには、現場の真っただ中に入って行かなければならない。それだけではない。カメラマンにうんざりしている人も多く、時には罵声を浴びせられることもある。昨年には、アルファルドゥス(Al-Fardous)地区で女性を撮影していると勘違いされたカメラマンが、憤慨した男性らにカメラを壊されたこともあった。
私個人も皆と同じように、内戦の直接的な被害を受けている。2012年4月、2発の銃弾を受けて負傷した。父といとこもけがをした。
友人の多くはトルコへ向かい、その後ドイツへ行った。私も昨年国を出ることを考えたが、結局残って仕事を続けることにした。私は外の世界に対し、シリア国民が耐えている苦しみを伝えていきたい。(c)AFP/Ameer Alhalbi
このコラムは、シリア・アレッポを拠点に活動するフリーカメラマンのアミール・アルハルビ(Ameer Alhalbi)がキプロス・ニコシア(Nicosia)のサマル・ハズボーン(Samar Hazboun)記者とフランス・パリ(Paris)のロラン・ドクルソン(Roland de Courson)記者と共同執筆し、ヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が英訳し、2016年5月2日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。