P・マッカートニーさん、ビートルズ脱退後「音楽やめる寸前に」
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【5月25日 AFP】ビートルズ(The Beatles)の元メンバー、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)さん(73)が、今週放送予定のラジオのインタビューで、グループからの脱退後に酒に溺れ、音楽活動から一切手を引く寸前にまでなっていたことを明らかにした。
24日に公開された、英国放送協会(BBC)のラジオ番組インタビューの抜粋によると、マッカートニーさんは1970年4月の脱退発表後、苦悩に対処するためにアルコールに頼っていたことを認めている。
「生涯の友人たちとの関係を断つところだった。音楽を続けるかどうかもわからなかった」
「酒に頼った。最初はいい気分だったが、突然、楽しくなくなった。助けにならなかったんだ。一からやり直したくなって、ウイングス(Wings)の結成に至った」
ウイングスは、マッカートニーさんの最初の妻リンダ(Linda)さんらと共に1971年に結成されたバンドで、各地の大学などを回って演奏を行った。
最終的にバンドは成功を収めているが、マッカートニーさんは初期に聞かれた批判について、概ね間違っていなかったことを認めている。リンダさんはキーボードを担当したが、当時はまだ初心者だった。
「…僕らはそんなにうまくなかった。ひどかったよ。リンダが演奏できないことを知っていたけど、彼女は練習した。今思えば、(ウイングスをやって)本当に良かった」
ジョン・レノン(John Lennon)さんとのぎくしゃくした関係については、1980年にレノンさんが射殺される前に修復できて良かったと語っている。
「彼が死ぬ前に仲直りできたことには本当に感謝している。そうでなければ(彼の死に)向き合うことはとても難しかっただろう…そうでなくても、とてもつらい経験だった」
マッカートニーさんは1982年、楽曲「ヒア・トゥデイ(Here Today)」をレノンさんのために書いた。
インタビューでは曲の一部を演奏し、「彼に言わなかったことすべてを考えていた。僕はとても内向的で自分をさらけ出すのは好きではない。なぜ他人が僕の最も深いところにある考えを知る必要があるのだろうって。でも、曲はそれらを表す場所だ」と語ったマッカートニーさん。「ヒア・トゥデイ」ではジョンへの愛を歌ったと話し、「こういう感情、深くて時には照れくさい真実も、歌にはできる」と続けた。
そして、「若い時には、たくさん不思議なことが起きる。バンドをやっていて、ジョンと競争し、ずっと子どもでいたのに突然有名になる…そういうこと全部が良い仕事につながった」と当時を振り返った。(c)AFP/Robin MILLARD