チェルノブイリ原発事故から30年、居住禁止区域に住む高齢者ら
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【4月19日 AFP】1986年4月26日に旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ(Chernobyl)で史上最悪の原発事故が起きてからほどなく、放射能汚染や政府の避難勧告をものともせず愛する故郷に戻った人たちがいる。エフゲニー・マルケビッチ(Yevgeny Markevich)さん(78)もその一人だ。
かくしゃくとした元教師のマルケビッチさんを含む158人が、同原発から半径30キロ圏の居住禁止区域に今も暮らしている。チェルノブイリ原発4号機の爆発によって放射能に汚染されたままの同区域は、ウクライナ当局によって非居住地域に指定されている。
8歳だった1945年に家族と共にチェルノブイリに移り住んだマルケビッチさんは「私はチェルノブイリに住みたいだけなんだ」と言う。「人々がなぜここに住みたがるのか、私には説明はできない。心の声に突き動かされているのか?それとも郷愁にふけっているのか?誰にも分からない」
肥沃(ひよく)なチェルノブイリに移り住んだおかげでマルケビッチさん一家は戦後の食糧危機の時代を生き抜くことができた。「ここで作物を育てて自分たちの食べ物を収穫することができた。ここを離れようと思ったことは一度もないよ」
ソ連当局は当初、事故の隠蔽(いんぺい)を図った。チェルノブイリ原発事故が直接の死因となった人は30人余りとされている。しかし2005年に国連(UN)が発表した報告書は、この事故の放射線による犠牲者は最大で4000人に上るとの推計を示した。