震災の記憶を伝える福島の「ダークツーリズム」、さまざまな思い
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【3月9日 AFP】新妻慎一(Shinichi Niitsuma)さん(70)は福島県浪江町を訪れた人たちを熱心に案内している。この小さな町に来訪者らを引き付けたのは、津波に襲われた海岸線、放置された家々、そして運転を停止している東京電力(TEPCO)福島第1原子力発電所を見下ろす山だ。
東日本大震災から5年。東北地方の沿岸部では原発事故のため人の姿が消えた場所も多い。寂れた町の住民に過去の戦慄(せんりつ)の記憶を追い払う機会を与えているのが被災地観光だ。
ポーランドにナチス・ドイツ(Nazi)が設置した強制収容所や、米ニューヨーク(New York)の2001年9月11日同時多発テロの跡地「グラウンド・ゼロ(Ground Zero)」と同様に、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた地域では今、戦争や災害によって死や苦しみの舞台となった場所を訪れる「ダークツーリズム」が盛んになっている。過去四半世紀で最悪となった原発事故が残したものを自分の目で見ておきたいという人が、年間2000人以上訪れているという。
「福島のような場所は無いよ。原発事故がいかに悲惨かを目の当たりでできるのは。例外としてはチェルノブイリぐらい」と新妻さんは語る。福島第1原発からわずか8キロしか離れていない場所にある浪江町の中心部を車で案内しながら「参加者にはこのゴーストタウンを見てほしい。それは単なる遺構ではなく今ここにある絶望だ」と話した。
津波を受けた福島第1原発は炉心溶融(メルトダウン)を起こした。浪江町に出された避難指示はいまだに解除されていない。
新妻さんは10人いる地元ボランティアガイドの一人。浪江町をはじめ、福島県内のさまざまな場所を巡るツアーを行っている。ツアーでは、立ち入りが厳重に制限されている地域にも足を踏み入れる。
ガイドらは、放射線量が極めて高いため撤去作業が進んでいない建物の骨組みの間も案内していく。ただし線量計のチェックは怠らず、細心の注意を払って放射線量が高い場所は避けるようにしている。
津波に襲われた小学校も、訪問地の一つだ。教室の壁に掛かった時計は今も津波到達時刻の午後3時38分を指したまま止まっている。体育館のステージの上には2011年卒業式の横看板がまだ掛けられており、割れた窓からは福島第1原発が見える。
元高校教師の大貫昭子(Akiko Onuki)さん(61)もボランティアガイドの一人だ。大貫さんは生徒6人と同僚1人を津波で失った。激しく損傷したかつての自宅を来訪者らに見てもらうことにしたのは「福島を最後(の原発被災地)にしないといけない」という思いからだという。