【1月28日 AFP】映画『007は二度死ぬ(You Only Live Twice)』の中で、日本の公安調査庁長官のタイガー田中(Tiger Tanaka)がこう言うシーンがある。「日本では男が先で、女は後だ」。あれから50年近くが経った。完璧なまでのマナーと礼儀正しさとの誉れ高い日本だが、欧米とは対照的にいまだ「レディーファースト」という言葉は浸透していない。

 神秘的な街、京都(Kyoto)を最近訪れた際に、私はその理由について探ろうとした。まずは芸者を見つけ出す必要がある。言うは易し、行うは難しだ。

京都の街を着物姿で歩く芸者(2009年5月20日撮影)。(c)AFP/Kazuhiro NOGI

 芸者をインタビューしようという試みは、私よりもいい男たちを絶望へと追いやってきた。芸者へのインタビュー、つまり彼女たちの華やかな、しかし排他的な「花柳の世界」の内側をのぞくことは不可能に近い。だから、京都出身でファッション業界で働く友人に、誰かを紹介できるかもしれないと言われたときには胸をなでおろした。

「申し訳ないけど、報酬は出ないことを伝えてほしい」と、私は恐る恐る友人に言った。そう言えば、取材を断られるかもしれないと思ったからだ。幸いにもそれは杞憂に終わり、私たちは不格好にカメラを担いで観光客の注目を集めながら、待ち合わせ場所とした祇園の古い街並みの中の茶屋へ向かった。

 精緻な柄の着物を着て、おしろいを塗った人形のような芸者たちが、漂うように優雅に石畳の通りを歩いていた。17世紀から変わらない光景なのだろう。背の低い入り口をくぐろうと腰をかがめると、タイムスリップしたような気分になった。

京都祇園の街並み(2008年6月18日撮影)。(c)AFP/PHILIPPE LOPEZ

 その茶屋は「旦那」と呼ばれる裕福な上客によって店を開ける前の1時間、予約が入っていた。私たちはきしみそうな木の階段を上り、通りを見下ろす部屋へと招き入れられた。その上客は私の友人の友人だということが分かった。京都特有の複雑な物事の運び方を友人にさせたのだった。

 芸者の「菊丸(Kikumaru)」は到着すると、控えめにお辞儀をし、柔らかな京都弁で「おおきに」と昔ながらのあいさつをした。畳に正座した彼女は、話題が社交辞令、とりわけ男女平等の問題に及ぶと率直に答えた。

京都祇園の茶屋でAFPの取材に応じる芸妓の菊丸さん(2015年9月22日撮影)。(c)AFP/Toru YAMANAKA

 芸者(京都では芸妓と呼ばれる)は、男性の三歩後ろを歩くよう細心の注意を払う。古い日本への逆戻りは、婦人参政権運動の先駆者たちを草葉の陰で嘆かせることだろう。

 しかし、菊丸は怒ったようにして指を振りながら、すぐに私の考えを正した。「ちょっと待ってください」と彼女はいたずらっぽく言った。「あなたがそう考えるのは全く自然ですが、男性たちは自分が偉いと思っているから前を歩くのではないのです。日本では昔、刀を持ち歩いていたために、外を出歩くことは危険だった。切り捨てられることもあった。だから男性が先を歩くようになった。実のところは、武士の精神からなのです」

 日本舞踊や笛、三味線といった芸を身につけた芸妓たちの仕事は、特別な客人たちを会席や酒宴の席で楽しませることだ。

京都の納涼床の店で客の間を歩く舞妓(2004年5月1日撮影)。(c)AFP/YOSHIKAZU TSUNO

 客には著名な政治家や企業家が多く、そうした客たちは月末に巨額の請求書が届くまで、一晩の遊びにどのくらいかかったのか知らない。「皆、華やかだと思っているけれど、それは強さを試すテスト」なのだと菊丸は言う。「芸者を作っているのは強さです」

 京都の芸妓は、日本の義務教育を終えた15歳から見習いを始め、すぐに舞妓になる。それから5年間、芸事や礼儀作法、会話術などを学び、大抵は20歳前後で芸妓として認められるようになる。

京都で撮影された舞妓(2006年11月撮影)。(c)AFP/Yoshikazu Tsuno

 しかし今、京都で働いている約175人の芸妓たちの人生を縛る厳しいしきたりは、社会を駆け上っていく現代の日本人女性が謳歌する自由とは明らかにかけ離れている。

 私は菊丸に、自分の選択した人生を後悔したことはないかと聞いてみた。彼女の答えは残酷なほどいじらしい正直さで「花街」として知られる京都の5つの地区の隔絶された生活について語っていた。「普通とは違う人生を生きていることはいつも頭の片隅にある」と彼女はうなずいた。「芸妓としての生き方に染まり、一般の人たちとは壁があると感じている」

「舞妓が着物姿で宴会に向かっているときに制服を着た同年代の女子生徒たちを見たら、彼女たちがみんなで夕飯を食べに行っている間、私は畳に座っているんだと思う。舞妓には自分の時間がなく、部屋は3、4人の相部屋です」

「10代の間を芸者になる修行のために犠牲にし、時にやめたいと思うこともある」と今、31歳になった菊丸は言った。「でもそうした気持ちを乗り越えないといけない」。

京都の茶屋でパソコンに向かう舞妓(2006年12月7日撮影)。(c)AFP/Daniel ROOK

 芸者は独身を貫き、結婚したら引退しなくてはならない。

 普段の生活の中でも、ハンバーガーを食べに出かけるために変装するなど、隠密行動をとる必要がある。「私たちは自分たちのイメージを壊さないように慎重になる必要がある。舞妓がフライドポテトを食べたくなったら、ジーンズをはいて行かなければならない」と、菊丸は言う。「それからファストフードを食べるときは町の反対側の店に行って、家まで持ち帰ってからこっそり食べるのです」

 フェイスブック(Facebook)は使っているのか?「ほとんど使っていません」と彼女は笑い、私たちは電話番号を交換して連絡を取り合おうと言った。

 私の携帯の短縮ダイヤルには今、一人の芸者の名前が入っている。ロンドン(London)のわびしいイズリントン(Islington)出身の若造にしたら、たいした収穫だ。 (c)AFP/Alastair Himmer

このコラムは東京を拠点とするAFPのスポーツ&ライフスタイル特派員、アラステア・ヒマーが執筆し、2015年12月2日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

京都で撮影された舞妓(2013年10月4日撮影)。(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA