【AFP記者コラム】気候変動、コップの水は「まだ半分」か「もう半分」か
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【12月24日 AFP】破滅的な地球温暖化を回避するために、私たちは正しい道を進んでいるのだろうか──気候変動を取材する記者として私が悩む大きな問いの一つ、いや、最大の問いはこれだ。最近、まったく正反対の二つの答えを突きつけられた私は、どちらが正しいか深く追究することにした。
背景説明を少々──人類が二酸化炭素の排出量を劇的かつ急速に減らさない限り、つまり化石燃料の使用をやめない限り、私たちがふるさとと呼んでいる地球は、人類にとって過去1万1000年よりも過酷な場所となっていく。現在、私たちは19世紀半ばに温暖化が始まったときよりも摂氏4度高い世界に向かう、特急電車に乗っている。そんな世界には誰も、絶対に、絶対に、絶対に、向かいたくないはずだ。
国連(UN)の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」に携わる3000人強の気候学者たちによれば、安全な世界にとどまるためには、 気温上昇を2度未満に抑える必要がある。これが先日、仏パリ(Paris)で開催された国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)第21回締約国会議(COP21)に集まった195か国の究極の目標だ。そのうち180か国近くが、温室効果ガス排出量の削減を約束している。つまり、世界は総がかりでこの問題に取り組んでいるのだ。20年をかけてこれだけの国が取り組むようになったことは、すでに一つの成果といえるだろう。ひとまず彼らの幸運を願おう。
では、「パリ協定(Paris Agreement)」によって、気温上昇2度未満という目標の達成にどれだけ近づくのだろうか。国連は最近、その答えを提供する二つの大がかりな分析を発表した。一つは国連の気候変動をめぐる議論を先導するUNFCCC、もう一つは国連環境計画(UNEP)の報告書だが、ともに中国、米国、欧州連合(EU)、インド、ロシア、その他けんけんごうごうと協議する国々が示している気候救済計画が行き着く先には、3度前後の気温上昇が待っていると結論づけている。これは現在、我々が向かっている上昇値4度と、目標とする2度の中間にあたる。パリ協定が効力を発揮するのは2020年からで、内容の大半は2030年まで効力を持つ。
■「炭素予算」をめぐる見解の違い
2度未満目標よりもいっそう明確な対策は「炭素予算」と呼ばれるものだ。これは驚くほど簡単なコンセプトだ。人類が大気中に排出できる温室効果ガスの許容量を科学的に算出し、その値を超えると、2度未満の上昇にとどめておける可能性がなくなるというものだ。
現在を起点としたその許容量は、二酸化炭素換算量(CO2e)で1兆トンほどとされる。昨年、人類の活動によって排出された量は約400億トン。この速度で計算すると、私たちは30年もたたないうちに「予算」を使い果たしてしまう。現実には、もっと早く使い切ってしまうだろう。各国の誓約を勘案したとしても、排出量は少なくとも2030年までは毎年増え続けるからだ(オタク的な注1:牛が排出するメタンガスや車からの亜酸化窒素など、他にも重大な温室効果ガスがある。これらも炭素予算に計上する場合の単位には「二酸化炭素換算量」、つまり「CO2e」を使用する。しかし、正確なタイムラインは、温室効果ガスの8割以上を占める二酸化炭素だけを基に算出される)。
報告書を読んだ私たちはもちろん、これが朗報なのか悲報なのか知りたくなる。「ドクター、はっきり言ってくれ、生き永らえる確率はどれぐらいなんだ?」という感じだ。だがその答えは、誰に話を聞くかで違うことが分かった。
私は、いわゆる「各国の自主的な約束草案(INDC)」について取材をしているときに、気候変動の専門誌「グローバル・ポリシー(Global Policy)」に掲載されていた研究論文がまったく違う主張をしていることを見つけた。それによればINDCは、世紀末までに予想される温度上昇を約0.05度しか抑制できないという。つまり「パリ協定」ではほとんど効果がないということだ。
この論文の著者はデンマークの研究者で、環境政策界の「異端児」とされるビョルン・ロンボルグ(Bjoern Lomborg)氏で、同氏は始めに著書「環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態(The Skeptical Environmentalist)」で示したように、人類は二酸化炭素(CO2)排出削減というほとんど無益な努力によって、膨大な時間と金を無駄にしていると主張している。それよりも将来の環境技術のための研究開発に投資すべきで、すでに進行中の温暖化の影響は受け入れるべきだというのだ。同氏は、飢餓やエイズ、結核の根絶に比べれば、地球温暖化は優先度の低い問題だと論じている。
こうした考え方は危険なほど間違っていると思う。だがそれでも私は、同氏のINDCに関する主張に向き合って闘う必要があった。非常に簡単に説明すると彼は、各国独自の約束では長期的に温室効果ガスを削減することがほとんどできず、炭素予算を完全に超えてしまうと言っている。
これら正反対の見解に直面した私は、どちらが真実を語っているのかを見出すために、中立の審判を探した。ベルギーの権威ある科学者で、今年までIPCC副議長を務めていたジャン・パスカル・イペルセル(Jean-Pascal Ypersele)氏が適任だろう。正直、メディア慣れしているロンボルグ氏との長い会話の中で同氏の主張を粉砕できなかった私は、イペルセル氏がロンボルグ氏の説を一発撃破してくれることを期待したのだ。
電話で話したイペルセル氏は怒っていた。イペルセル氏は、ロンボルグ氏が「過剰に悲観的」で、最悪のシナリオしか見ていないと言った。「2030年以降について、彼は何の削減努力も想定していない」。私も同意した。それは妥当な想定ではない。2週間に及ぶCOP21の主要課題の一つは、各国が削減量を増やし続けていけるメカニズムをいかに整備するかだったからだ。
しかし、ロンボルグ氏は、将来起こり得ることすべてをお見通しだとは言っていない。パリ協定を手にした私たちが一体、どれほど前進できるのか、彼は厳しい見方をしていた。私はイペルセル氏に「ロンボルグ氏の主張は、つまり『みんな正直になれ。今、コップは90%、空なんだ』ということでは?」と聞いた。
長い沈黙の後、大きなため息をしたイペルセル氏は「そうだ。彼によって、2030年以降に起きることの重要性が意識された。その意味では彼は正しい」と語った。私は続けて、それは国連の予測が間違っているということかと聞いた。イペルセル氏は再び長い沈黙の後「そうではない。どういう想定をするかによるのだ」と答えた。
ついに、問題の核心が現れた。私が見出したのは、科学的な見解の違いではない。意外にもそれは大きくなかった。問題は、私たちが気候変動についてどう語り、生存可能な未来をどう描くか、の違いなのだ。
■国連のジレンマ
地球温暖化と私たちの抑制努力に関する広報活動で、国連はどちらをとってもうまくいかないジレンマに直面している。楽観的な結果に至る可能性を強調すれば、人々に誤った安心感を与えることになる。逆に、事態は容易に悪化し得ると言えば、人々は絶望して諦め、何の努力もしなくなるかもしれない。だから国連は両方をやっている。2種類の報告書の入念に調整されたプレスリリースは対極的で、自己満悦と厳しい警告、喜ぶべき理由と恐れるべき理由の間を、行きつ戻りつしている。
だが国連の主要な使命は、断固とした気候変動対策に政治的かつ幅広い支持を集めることなので、最後は明敏な分析よりも善意がまさる。コップの水はいつも、まだ半分ある状態だろう。つまり「2度目標はまだ達成可能だ」「前例のない国際努力を」などと訴える。
同じく気候変動政策で主要な役割を果たし、時に莫大な規模の人員や予算をもつシンクタンクやNGOも、同様の「コップの水はまだ半分あると見るか、もう半分しかないと見るか」の板挟みに直面している。そして彼らの多くは、バラ色がかったコップを配るほうに行き着く。それが彼らの仕事だ。NGO「350.org」の創設者ビル・マキベン(Bill McKibben)氏は卓越したスキルで、希望と暗闇のぎりぎりの綱渡りをやってのけながら、その過程で世界的な草の根運動の誕生を支えてきた活動家だ。結局のところ、彼の目的は人々を運動に引き入れ、参加させ続けることにある。
しかし大半のジャーナリストにとって、特に通信社の記者にとって、それはタブーだ。私たちの仕事は「メッセージ」を発することではなく、ニュースを伝えることだ。同じことは科学にもいえる。科学的手法の一貫性は、バイアスの不在にかかっているからだ。それが気候変動となると、ニュース編集室でも科学者たちの間でも、その暗黙のルールが変化することに私は興味をかきたてられてきた。
公表日まで報道禁止という条件付きで、AFPは国連の両方の報告書を数日前に入手していたため、私たち記者にはじっくり討議する時間がたくさんあった(記事を書く記者は1人だが、私たちは同僚からの意見を大事にする)。通常、意見が分かれるのは、最適な記事の切り口はどれか、それでどれだけのインパクトを与えられるかといったところだが、今回、議論は新しい領域に入って行った。
私が一つの報告書について、コップの水が「まだ半分ある」というよりも「もう半分しかない」という報告書だと持ちかけると、同僚の1人は「気候変動について悪いニュースばかり流し続けるわけにはいかない。憂鬱にさせる」と言った。その数週間前、別の同僚は、私が気候変動について容赦なく暗いブログを書いていることを非難しながら「成功事例について語るべきだ」と忠告してきた。目の周りにくまをつくった環境問題担当の同僚は、そこを越えれば温暖化の加速は制御不能になるとされる臨界点に関する記事に、明るい話題を挿入する方法を探している間にほとんど徹夜してしまったと言った。
私は数か月前から、気候学者たちになぜその分野を選んだのか、自分が発見したことに動揺したことはあるかという質問を始めた。通常、方程式で物事を考える白衣の科学者たちは、自分の研究が記事に使われることを避けようとする。彼らの安全地帯から遠く離れてしまうからだ。だが、気候変動の悲惨な現実があまりに大きく迫ってきたために、その線引きは崩れ始めた。何人かの著名な気候学者たち、例えば米国のマイケル・マン(Michael Mann)氏やジェームズ・ハンセン(James Hansen)氏は、活動家になった。
「私が非常に危惧するのは、おそらく、私が科学的に理解しているからだ」。こう最後に記してきた、オレゴン州立大学(Oregon State University)地球・海洋・大気科学学部、ピーター・クラーク(Peter Clark)教授の氷河融解に関する長いメールは、戒めと警告に満ちていた。記者にとって、読者を引きつけるリードをそこから作ることは難しかった。教授はこう書いていた。「炭素排出を削減するだけでなく、完全に停止する努力を我々が一丸となってしない限り、文明の夜明け以来、見知ってきた世界が根本から変わってしまう途上に我々はある」
国連の報告書は「各国の自主的な約束草案」の対象期間である2030年までに焦点を当てている。その尺度で見れば、「これまで通り」のCO2排出を続けた場合と、「気温上昇2度未満」を目指すパリ協定の差はそれほど悲観的ではないようにみえる。だが、その二つの軌道の行く末を今世紀末まで延ばすと突然、その差は埋めがたいものに見え始める。
イペルセル氏は正しい。ロンボルグ氏の予測は、パリ協定の期間以降に世界各国はそれ以上、排出量削減努力をしないという想定に基づいているため、とりわけ悲観的になっている。だが、それはかなり可能性の低いシナリオであり、その意味で、彼の理論は不誠実だと言える。
■国連報告書の非現実
しかし、国連報告書の細かい部分を見てみると、別の非現実的な想定も見えてくる。
・例えば、気温上昇2度未満目標を達成するために、2070年ごろまでに経済活動が「カーボン・ニュートラル」になることを想定している。つまり人類は、地球が吸収できる量以上のCO2を排出しなくなるという想定だ。しかも国連のシナリオでは、いまだ期待を満たしていない技術(CO2回収貯留:CCS)や、それ自体に問題がある技術(バイオ燃料、原子力発電所)、少なくとも産業規模では実用化に至っていない技術(大気中から直接のCO2吸収)などにこれを頼っている。
・2度未満目標は、ほぼ確実に達成できないということについては、誰か触れただろうか?地球はすでに1度上昇しており、たとえクリスマス前にCO2を排出するすべての装置の電源を切ったとしても、さらに0.6度の上昇が確実視されている。科学者たちはこれを「既定の温暖化」と呼んでいる。英エクセター大学(University of Exeter)の気候モデル研究者で地球工学の専門家、ピーター・コックス(Peter Cox)氏は「この不可抗力を覆せる希望はまだある」という。「ただし、2度上昇を回避できるほど効果は速くない」。おっと……。
・気にするな、どのみち2度未満に抑えたくらいでは、海抜数メートル以内に住んでいる人たちや、すでに砂漠化が進行中の地域に住んでいる人たちにとっては、何の助けにもならないという見方もある。最近発表されたある研究報告書は、2度未満目標で救うことができるのは、現在2億8000万人が住んでいる分の陸だけだと結論づけている(オタク的な注2:2度未満目標は科学的根拠から生まれたのではない。ほとんど決裂に近かった2009年のコペンハーゲンCOP15で、集合写真撮影とシャンパンでの乾杯のときしか活気づかない世界の指導者たちが、メンツを保つために夜を徹して引っ張り出した、法的拘束力のない3ページの「合意」によるものだ)。
・国連の予測は、約束された排出削減目標がすべて守られ、それらをきちんと監視・評価でき、多くの貧困国が求める見返りの金が払われるという想定に基づいていることも指摘しておいていいだろう。
・そして国連はおそらく説明してくれるはずだ。これまでの5つの報告書では、温暖化ガス排出量のピークは2020年より前に訪れるとあんなに言い続けてきたのに、2015年版報告書ではこの「ピーク年」が何で消えてしまったのか?それは、たとえパリ協定をもってしても向こう15年間、排出量は増え続けることが分かっているからなのか?
地球温暖化を止める明確な解決策は、世界経済を化石燃料からひきはがし、温室効果ガス排出量を減らすことだというのは長年分かっていることだ。だが、私たちはそれをやってこなかったために、2度未満の世界への道はどんどん細くなっている。私たちはまだ、ここからそこへ、たどり着くことができるのか?
もちろんできる。目標は手が届くところにある。もう何周か、メリーゴーラウンドが回ったところで、私たちはそれをつかむことができるかもしれない。(c)AFP/Marlowe Hood
このコラムは、仏パリを拠点とするAFPの環境・科学担当記者マーロウ・フッドが執筆し、12月1日に配信されたコラムを翻訳したものです。