【12月18日 AFP】18歳のパレスチナ人少年、アマル・ムスタファ(Ammar Mustapha)さんは今、英王室の子息が学び、英歴代首相や大物実業家を輩出した英名門イートン校(Eton College)で学業に励んでいる。彼が育ったシリアやレバノンのパレスチナ難民キャンプとはまったくの別世界だ。

 ムスタファさんは卓越した学力が評価されて、何百万人もの難民の子どもたちの中から慈善団体「コジト奨学財団(Cogito Scholarship Foundation)」のプログラムによってイートン校での就学機会を得た。同財団は、中東情勢の改善を目的にアラブ地域の優秀な子どもたちを世界の一流校で学ばせる活動をしている。

 イートン校への留学は「人生を変えるチャンスだった」とムスタファさんはいう。

■「最初はとても不安だった」

 父親が電気技師だったムスタファさんの一家は、職を求めて1999年にリビアからシリアの首都ダマスカス(Damascus)南部にあるヤルムーク(Yarmuk)難民キャンプに移住した。そこでの子ども時代の生活は楽しかったとムスタファさんは回想する。「とても安全で、真夜中でも買い物ができた」

 だが、近年のヤルムーク難民キャンプは政府軍と反体制派との激しい戦闘に巻き込まれ、悲惨な状況にある。

 ムスタファさんの一家がレバノンへ逃れたのは2012年、ヤルムークに爆弾が雨のように降り注ぎ始めるほんの数日前のことだった。

 当時16歳だったムスタファさんは避難したレバノンでイートン校の物理学教師、ピーター・マン(Peter Mann)さんに見いだされた。「彼の学力は突出していた」とマンさんは話す。

 ムスタファさんはレバノンで1週間に及ぶ入試を受け、無事イートンの奨学生に合格した。

「最初はとても不安だった。でも以前から、ヨーロッパに行って文化や言葉や教育の違いを見てみたいと思っていたんだ」(ムスタファさん)

 ムスタファさんの両親も留学を喜び誇りに思う一方で、ムスタファさんが家族と離れるのは初めてだったため寂しがったともいう。

 だがムスタファさんの不安も杞憂だったようだ。イートン校のアドバイザーによれば、ムスタファさんは母親の手料理を恋しがることはあるものの、すぐに同校の生活に順応し、大学進学資格も得たという。

 卒業後も欧州か米国で職を得て生活したいというムスタファさんだが、最終的な望みは「レバノンに戻り、土木技師として地域社会に貢献すること」だと語った。(c)AFP/Maureen COFFLARD