「海賊キッドの沈没船と財宝ではない」ユネスコが否定
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【7月15日 AFP】国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)は14日、17世紀の悪名高い海賊ウィリアム・キッド(William Kidd)、通称キャプテン・キッド(Captain Kidd)の財宝を発見したという米国人探検家の主張を否定した。
海洋考古学者のバリー・クリフォード(Barry Clifford)氏は今年5月、マダガスカル沖でキャプテン・キッドが乗っていた「アドベンチャー・ギャリー(Adventure Galley)号」とみられる沈没船を発見し、その中から50キロの銀の延べ棒が見つかったと発表。これで同海域の長年に及ぶ謎の一つが解明されたと主張していた。
しかしクリフォード氏の主張を確認するため発見現場を訪れたユネスコの専門家チームは、大々的に報じられた同氏の発表を冷たく一蹴した。
ユネスコの報告書によると、「銀」の延べ棒とされたものは鉛の重しにすぎず、沈没船はマダガスカルの東にある小さなサント・マリー(Sainte Marie)島の湾に残っていた建築物の古いがれきだったとしている。
報告書は、「海賊キャプテン・キッドの『アドベンチャー・ギャリー号』だとされたものは、サント・マリーの港にある建築物の破損した一部だということが分かった。船の残骸は一切見つかっていない」「また同域から回収されたという金属の塊は『銀の財宝』などではなく、95%が鉛だった」「銀は含まれておらず、鉛のバラスト(船の重り)の一部と特定された」としている。
自身の探検をテーマにテレビドキュメンタリーを制作しているクリフォード氏は5月、世界のメディアに取り上げられ、海賊キッドの「延べ棒」とするものをマダガスカルのヘリー・ラジャオナリマンピアニナ(Hery Rajaonarimampianina)大統領や米英大使にも披露していた。
しかしユネスコは直ちに同氏の主張に疑義を呈し、潜水作業に考古学者を同行させていなかった点を批判していた。
キャプテン・キッドは1645年ごろスコットランド(Scotland)に生まれ、当初は英当局から海賊退治役として雇われていたが、後に自ら冷血な海賊になった。
1698年、高価な貨物を積んだ船を襲って略奪行為に及んだことから拘束されて囚人となり、英議会からの尋問を受けた後、1701年に処刑された。しかしその強奪品の多くの行方については謎のままとなっており、何世代にもわたって財宝発見を目指す人々の好奇心をかき立て、興奮をもたらしてきた。(c)AFP/Gaelle Borgia