■貧しさからの脱却

 しかし、取材中に話題が地元フィリピン南西部パラワン(Palawan)州での苦しい生活に及ぶと、ルビーナさんの顏から笑みが消えた。

 父親は病気療養中で、ルビーナさんは母親と同じくメイドとして働いていた。「いつだったか、一日じゅう床掃除をしていたら、もう一度最初からやるよう雇い主から命じられたことがあります。彼女は私の仕事ぶりが好きでなかったから」

 泥だらけの道を歩いていたルビーナさんを見いだしたのは、地元のメーキャップ・アーティストだ。何より目を引いたのは、そびえ立つようなその長身だった。3年前に初めて参加したコンテストで賞金3000ペソ(約8000円)を獲得。そのままモデルへの道を駆け上った。これまで得た賞金は、家族の生活費と父親の療養費に充ててきた。

 中でも、2013年のコンテストで準優勝した際に両親にプレゼントしたテレビは、最も思い出深い買い物だという。それまでルビーナさんの家にはテレビはなかった。「薄型テレビではなかったけれど、とても大きな意味がありました。近所の家までテレビを見に行っていた両親が、今ではいつでも、テレビに映る私を見れるのですから」とルビーナさんは語った。

 1985年にミス・フィリピンに選ばれ、女優やニュースキャスターとして活躍するジョイス・バートンティトゥラー(Joyce Burton-Titular)さんによれば、フィリピンの少女たちにとって美人コンテストは、貧しさから逃れる機会を与えてくれる存在だという。「最貧困層の出身でも優勝できるコンテストは、重要な平衡装置です。フィリピンの女性に社会的な力を与えてくれるものなのです」

 3月15日に開催された「ビニビニ・フィリピーナ」決勝大会で、ルビーナさんは「ビニビニ・フィリピーナ・インターナショナル(Binibining Pilipinas-International)」に選ばれた。5つある賞のうち2番目に栄誉ある受賞だったが、ミス・ユニバース代表の資格が得られる「ミス・フィリピン(Miss Philippines)」の座は惜しくも逃した。(c)AFP/Joel GUINTO